答えは、2026年現在の岩友親方は元碧山、先代の岩友親方は元木村山です。同じ年寄名跡を2人が時期を分けて名乗っているため、検索結果や過去の相撲記事では両方の名前が登場します。
混乱の原因は、2024年に起きた名跡の継承です。先代の岩友親方だった木村守さんが7月に亡くなり、その後、現役だった碧山が9月に引退して岩友を襲名しました。
日本相撲協会の公式発表でも、木村守さんを「元幕内・木村山」、碧山を「元関脇・碧山」として、それぞれ岩友の名を継いだ人物として確認できます。
2人の岩友親方を比較| 項目 | 先代・岩友親方 | 現在の岩友親方 |
|---|---|---|
| 現役時代の四股名 | 木村山 | 碧山 |
| 本名 | 木村守 | 古田亘右 |
| 出身 | 和歌山県御坊市 | ブルガリア・ヤンボル |
| 最高位 | 前頭7枚目 | 関脇 |
| 岩友襲名 | 2014年 | 2024年9月24日 |
| 現在 | 2024年7月6日逝去 | 春日野部屋所属の年寄 |
つまり、検索するときは「元木村山の岩友親方」と「元碧山の岩友親方」を区別すると、情報を正しく整理できます。
【先代の経歴】元木村山・木村守さんはどんな親方だった?
先代の岩友親方は、和歌山県御坊市出身の元幕内力士・木村山です。本名は木村守(きむら・まもる)さん。相撲の強豪として知られる箕島高校から東洋大学へ進学し、その後、春日野部屋に入門しました。
木村山の現役時代2004年3月の春場所で初土俵を踏み、2008年1月場所で新十両に昇進。同年7月の名古屋場所で新入幕を果たしました。
得意としたのは突き・押しです。体格や立ち合いの勢いを生かした相撲で幕内を16場所務め、最高位は西前頭7枚目。2010年九州場所で到達した地位でした。
2014年1月場所を最後に現役を引退。その後、年寄「岩友」を襲名し、春日野部屋で後進の指導にあたりました。名古屋場所の担当業務にも長く携わっていました。
こうした経歴は、2024年7月の訃報を伝えた日刊スポーツや和歌山放送の報道でも確認できます。
相撲協会の仕事でも存在感を発揮木村守さんは、単に若手力士を指導するだけの親方ではありませんでした。
スポニチの報道によると、日本相撲協会の公式YouTubeチャンネルなどでも持ち前のトーク力を発揮。加えて、会場で販売される相撲ガチャの景品を考案するなど、相撲ファンに向けた企画や物販の充実にも関わっていました。
現役時代から親しみやすい人柄で知られ、相撲界の情報発信やファンサービスにも貢献した人物だったことがうかがえます。
2024年7月6日、42歳で逝去日本相撲協会は2024年7月6日、年寄・岩友守さんの逝去を公式に発表しました。享年42歳でした。
同協会の訃報には、次の基本情報が記載されています。
本名:木村 守(きむら まもる)
逝去日:令和6年7月6日
スポニチなどの報道によれば、療養中の病院で同日未明に亡くなりました。5月に体調を崩して夏場所を休場し、その後も療養していたと伝えられています。
7月11日に春日野部屋で営まれた葬儀・告別式には、約200人が参列しました。元栃ノ心のレバニ・ゴルガゼさんら、親交の深かった関係者も別れを惜しみました。
木村守さんの死去によって、年寄名跡「岩友」を誰が引き継ぐのかが注目されることになります。そして、その名を継ぐことになったのが、同じ春日野部屋に所属していた元関脇・碧山でした。
【年表・関係図】木村山から碧山へ、岩友襲名までの経緯
2人の関係を理解するには、2014年から2025年までの流れを追うと分かりやすくなります。
岩友親方の歴代継承と主要な出来事年表の要点は、2024年7月の先代の逝去と、同年9月の碧山の引退・襲名は別々の出来事だということです。
日本相撲協会は2024年9月24日付の発表で、理事会が元関脇・碧山の引退と年寄「岩友」の襲名を承認したと明記しています。したがって、2024年7月に碧山がすぐ親方になったわけではありません。
【元碧山のプロフィール】ブルガリア出身から関脇まで上り詰めた実力者
現在の岩友親方は、元関脇・碧山です。本名は古田亘右(ふるた・こうすけ)。1986年6月19日生まれで、ブルガリアのヤンボル出身です。
2026年11月3日時点で40歳。日本相撲協会の年寄プロフィールにも、岩友亘右として登録されています。
碧山の基本プロフィール| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 現在の年寄名 | 岩友亘右 |
| 現役時代の四股名 | 碧山亘右 |
| 本名 | 古田亘右 |
| 生年月日 | 1986年6月19日 |
| 出身地 | ブルガリア・ヤンボル |
| 所属部屋 | 春日野部屋 |
| 身長 | 191cm |
| 体重 | 181kg |
| 得意技 | 右四つ・寄り |
| 最高位 | 関脇 |
| 初土俵 | 2009年7月場所 |
| 引退場所 | 2024年9月場所 |
特に目を引くのは、191cm、181kgという恵まれた体格です。右四つからの寄りや、体の大きさを生かした突き・押しを持ち味としていました。
碧山の相撲人生と昇進の歩み碧山は2009年7月場所に初土俵を踏みました。母国ブルガリア出身の先輩である元大関・琴欧洲(現・鳴戸親方)の存在も、角界入りに関係しています。
当初は田子ノ浦部屋に所属していましたが、師匠だった元幕内・久島海の逝去に伴い、2012年2月に春日野部屋へ移籍しました。
その後、2011年7月場所で新十両、同年11月場所で新入幕。2012年9月場所では新三役となり、順調に番付を上げていきました。最高位の関脇に到達したのも、この時期の成長が背景にあります。
碧山の生涯戦績と受賞歴日本相撲協会の公式プロフィールに掲載されている成績は次のとおりです。
碧山・生涯戦歴613勝607敗35休
504勝
幕内勝利数
71場所
幕内在位
4回
敢闘賞
1回
技能賞
幕下優勝1回、序二段優勝1回、序ノ口優勝1回、金星1個。幕内優勝はありません。
幕内で71場所を務め、敢闘賞4回、技能賞1回、金星1個を獲得した実績は、長期間にわたって幕内で戦い続けた力士としての評価を裏付けています。
なお、最高位の関脇は大関の一つ下に位置する三役です。碧山は大関や横綱には昇進していませんが、三役で5場所を務め、幕内上位でも存在感を示しました。
なぜ2024年9月に引退したのか?碧山の引退には、長年のけがと番付の変化が関係していました。
スポニチの報道によると、左膝の古傷に加え、2024年初場所では右膝も負傷。春場所以降は十両下位での土俵が続いていました。
2024年秋場所は東十両13枚目で5勝10敗。幕下への転落が避けられない状況となり、15年以上に及ぶ現役生活に区切りをつけました。
引退の決断には、個人の成績だけでなく、所属部屋の後輩力士の昇進を見届けたことも関係していたと日刊スポーツは報じています。
【2025年の断髪式】元碧山の岩友親方がまげに別れを告げた日
岩友親方の引退後の節目として注目されたのが、2025年9月7日に両国国技館で行われた断髪式です。
2024年9月に引退と岩友襲名が決まってから、約1年後の開催でした。日刊スポーツやスポニチによると、断髪式には約280人が参加。春日野部屋の関係者や一門の親方衆、横綱・豊昇龍、小結・高安らも出席しました。
鳴戸親方と春日野親方が節目に立ち会う断髪式では、ブルガリア出身の先輩であり、角界入りのきっかけにもなった鳴戸親方(元大関・琴欧洲)がはさみを入れました。
そして最後は、師匠の春日野親方(元関脇・栃乃和歌)が止めばさみを入れ、碧山時代の象徴だった大銀杏に別れを告げました。
スポニチの報道では、岩友親方は当時の経験を振り返り、次のように語っています。
「力士になって良かった」
言葉も文化も分からない異国での生活、厳しい稽古、周囲の人々の支え。約16年間の力士人生を振り返る場面となりました。
断髪式は単なる髪を切る儀式ではありません。現役力士としての時間を締めくくり、親方としての人生を改めて歩み始める節目です。
2026年現在、岩友親方は何をしている?2026年11月現在、日本相撲協会の公式プロフィールでは、岩友亘右は春日野部屋所属の年寄として掲載されています。
また、2025年の断髪式を報じたスポニチは、引退から約1年が経過した時点でも、稽古場で若手力士に胸を出していたと伝えています。
同記事では、本人が若手に伝えたいこととして「自分に負けちゃいけないこと」を挙げています。現役時代に培った経験を、次の世代の育成に生かそうとする姿勢が見られます。
ただし、2026年時点の公式プロフィールで確認できるのは、年寄名、所属部屋、経歴、戦績などです。現在の担当業務の詳細や個別の指導実績について、公式ページに具体的な一覧は掲載されていません。
【年寄名跡の仕組み】岩友の名前はなぜ碧山に受け継がれた?
岩友親方をめぐる混乱を理解するうえで、もう一つ押さえておきたいのが「年寄名跡」という仕組みです。
大相撲では、現役を引退した力士が親方として日本相撲協会に残る場合、年寄名跡を襲名することが基本的な条件となります。年寄名跡は親方としての立場を示す名称であり、現役時代の四股名とは異なるものです。
現役時代の四股名と親方の名前は別物今回の2人を例にすると、名前の違いは次のように整理できます。
- 木村山:現役時代の四股名
- 木村守:先代の本名
- 碧山:現役時代の四股名
- 古田亘右:現在の岩友親方の本名
- 岩友:引退後に襲名した年寄名跡
木村山が引退後に岩友を名乗り、その後、碧山が同じ岩友を襲名したという流れです。
日本相撲協会の2024年9月24日付発表は、碧山の引退と岩友襲名を同日に承認したことを明確にしています。
「岩友襲名」と「断髪式」は同じ意味ではない検索では「岩友襲名披露」「岩友親方の断髪式」という言葉が一緒に使われることがありますが、両者は区別する必要があります。
2024年9月24日は、協会理事会で引退と年寄名跡の襲名が承認された日です。一方、2025年9月7日は、両国国技館で断髪式が行われた日です。
したがって、2025年の断髪式を、岩友襲名が正式に決まった日と混同しないことが大切です。襲名の承認と、現役時代のまげを切る儀式は、それぞれ別の節目にあたります。
岩友親方の情報を調べるときの判断基準検索結果の情報が正しいか判断するには、次の3点を確認すると混同を避けられます。
1. 現役時代の四股名を確認する: 木村山なら先代、碧山なら現在の親方です。
2. 記事の掲載時期を確認する: 2024年7月以前・以後で指している人物が変わります。
3. 公式プロフィールを確認する: 日本相撲協会の年寄プロフィールでは、2026年現在の岩友親方は古田亘右さんと記載されています。
特に古い記事を読む場合は、記事の公開日が重要です。人物名だけで検索結果を判断すると、先代と現在の親方の情報が混ざってしまいます。
【岩友親方に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:2026年現在の岩友親方は元碧山ですか?
A1:はい。2026年11月現在の岩友親方は、元関脇・碧山です。本名は古田亘右さんで、春日野部屋に所属しています。
Q2:以前の岩友親方だった元木村山はいつ亡くなりましたか?
A2:先代の岩友親方・木村守さんは2024年7月6日に42歳で亡くなりました。日本相撲協会が同日に公式発表しています。
Q3:碧山が岩友親方になったのはいつですか?
A3:2024年9月24日です。日本相撲協会の理事会で、碧山の現役引退と年寄「岩友」の襲名が承認されました。
Q4:碧山の最高位と生涯成績は?
A4:最高位は関脇です。生涯戦歴は613勝607敗35休、幕内戦歴は504勝528敗33休。敢闘賞4回、技能賞1回、金星1個を獲得しています。
Q5:岩友親方の断髪式はいつ開催されましたか?
A5:2025年9月7日に東京・両国国技館で開催されました。約280人が参加し、師匠の春日野親方が止めばさみを入れました。
Q6:岩友親方は現在も春日野部屋にいますか?
A6:はい。日本相撲協会の2026年時点の年寄プロフィールと春日野部屋の公式紹介に、岩友亘右として掲載されています。
岩友親方という名前には、2人の力士の歴史が刻まれています。
先代は、和歌山県御坊市出身の元幕内・木村山こと木村守さん。2014年に現役を引退して岩友を襲名し、後進の指導や相撲ファン向けの企画にも携わりました。しかし、2024年7月6日に42歳で逝去しました。
その後、同じ春日野部屋に所属していた元関脇・碧山が2024年9月24日に現役を引退し、岩友を襲名。2025年9月7日の断髪式を経て、親方としての新たな歩みを続けています。
2026年11月現在の公式情報を整理すると、次の3点が重要です。
- 現在の岩友親方は元碧山・古田亘右さん。
- 先代は元木村山・木村守さんで、2024年7月6日に逝去。
- 元碧山は春日野部屋所属の親方として後進の指導に携わっている。
木村山から碧山へと受け継がれた岩友の名跡。現役時代に関脇まで上り詰めた碧山が、今度は親方としてどのような力士を育てていくのか。今後の春日野部屋での活動にも注目が集まります。
主な情報源
- 日本相撲協会「岩友亘右・年寄プロフィール」
- 日本相撲協会「春日野部屋」
- 日本相撲協会「訃報」(2024年7月)
- 日本相撲協会「引退および年寄襲名のお知らせ」(2024年9月24日)
- 日刊スポーツ(木村山の訃報・碧山の引退・断髪式)
- スポニチ(木村山の経歴・碧山の引退・断髪式)