2026年現在、追手風親方は日本相撲協会の理事を務め、埼玉県草加市にある追手風部屋の師匠として後進の育成に携わっている。元前頭二枚目・大翔山として活躍した人物で、本名は山崎直樹。日本大学経済学部出身で、学生横綱やアマチュア横綱のタイトルを獲得した実績を持つ。
2026年3月には、敗血症による長期入院と3場所連続の職務休場を経て、大相撲春場所で職務に復帰した。現在は大栄翔や翔猿らを擁する追手風部屋の運営を担っている。現役時代の実績、病気と復帰の経緯、1998年の部屋創設、元小結・遠藤の北陣親方との関係、2026年11月場所の所属力士まで、最新情報を整理する。
【2026年最新】追手風親方の現在は?敗血症からの復帰と師匠としての活動
追手風親方は、2026年11月現在、日本相撲協会の理事であり、追手風部屋の師匠を務めている。
日本相撲協会の公式プロフィールには、年寄名「追手風直樹」、本名「山崎直樹」と掲載されている。2026年7月7日に60歳を迎えた。
2026年の大きな話題となったのが、敗血症による入院と職務復帰だ。
2026年3月8日に職務復帰日刊スポーツが2026年3月8日に報じたところによると、追手風親方は3場所連続で職務を休場していた。
原因は敗血症だった。
本人の説明によれば、約4カ月間入院し、手術を5〜6回受けたという。長期入院の影響で足腰の筋力も低下し、復帰当時は杖を使用していた。
2026年3月8日、大相撲春場所初日に職務へ復帰。大阪のエディオンアリーナ大阪で、午前8時45分から約1時間半、木戸担当として入場券のもぎりを務めた。
ただし、復帰時点で体調は完全ではなかった。本人も体調が100%ではないと説明しており、長期療養から段階的に仕事へ戻る状況だった。
2026年秋には師匠としての活動も確認その後の活動を示す報道もある。
2026年9月25日の日刊スポーツの記事では、秋場所で脳震盪を起こした幕下力士・可貴について、追手風親方が休場の判断を説明している。
また、10月31日には元幕内・大奄美の断髪式に出席し、師匠として最後のはさみを入れたことが共同通信の配信記事で報じられた。
これらは、春場所での復帰後も親方としての活動を続けていることを示す具体的な出来事だ。
一方、敗血症から完全に回復したという医学的な続報は公表されていない。職務復帰と健康状態の完全回復は分けて考える必要がある。
【本名・学歴・経歴】追手風親方は元大翔山!日本大学時代からの歩み
追手風親方の人物像を知るうえで欠かせないのが、学生相撲で培った実力と、プロ入り後の早い出世だ。
本名は山崎直樹。石川県鳳珠郡穴水町出身で、1966年7月7日生まれである。
日本相撲協会と追手風部屋の公式プロフィールによると、学歴は日本大学経済学部卒業。大学時代には全国レベルのタイトルを複数獲得している。
日本大学経済学部で学生相撲の頂点へ山崎直樹は日本大学相撲部で実力を磨いた。
日刊スポーツの相撲担当記者による2024年の追手風部屋特集では、大学3年時にアマチュア横綱、4年時に学生横綱を獲得したことが紹介されている。
追手風部屋の公式プロフィールでは、学生横綱やアマチュア横綱など、獲得タイトルは合計12とされている。
大学卒業と同時に角界へ進んだのも、長年抱いていた大相撲への憧れがあったためだ。
大翔山としての現役時代1989年1月場所、立浪部屋から幕下60枚目格付け出しで初土俵を踏んだ。
アマチュア相撲で培った実力を生かし、プロ入り後も着実に番付を上げていく。
1990年5月場所には新十両、同年9月場所には新入幕を果たした。初土俵からわずか1年8カ月ほどで幕内に到達したことになる。
得意技は右四つ、寄り切り、下手投げ。181センチ、178キロという体格を生かした相撲を取った。
最高位は前頭二枚目。幕内では敢闘賞1回、金星3個を獲得し、十両優勝1回、幕下優勝2回という実績を残している。
追手風親方の経歴・年表| 時期 | 出来事 | 主な実績・関係 |
|---|---|---|
| 1966年7月7日 | 石川県で誕生 | 本名・山崎直樹 |
| 大学時代 | 日本大学経済学部に在籍 | アマチュア横綱・学生横綱など |
| 1989年1月 | 初土俵 | 立浪部屋・幕下付け出し |
| 1990年5月 | 新十両 | 十両優勝1回 |
| 1990年9月 | 新入幕 | 四股名・大翔山 |
| 現役時代 | 前頭二枚目まで昇進 | 敢闘賞1回・金星3個 |
| 1995年11月 | 現役最終場所 | 日本相撲協会の力士記録 |
| 1998年10月1日 | 追手風部屋として独立 | 友綱部屋から独立 |
| 2021年1月 | 部屋初の幕内優勝 | 大栄翔が初優勝 |
| 2026年3月8日 | 職務復帰 | 春場所初日に木戸を担当 |
| 2026年11月 | 師匠・理事として活動 | 追手風部屋の運営 |
なお、現役最終場所と部屋創設は別の出来事である。日本相撲協会の力士プロフィールでは引退場所を1995年11月場所と記録し、追手風部屋の独立は1998年10月1日とされている。
【1998年創設】追手風部屋とは?大栄翔・翔猿を育てた師匠の指導力
独立当初の内弟子はわずか2人。現在のように複数の関取を抱える部屋へ成長するまでには、長い年月があった。
日刊スポーツの2021年の報道によると、独立時には日本大学の後輩でもある2人の弟子を連れて新しい部屋をスタートさせた。
部屋創設後の主な転換点最初の大きな成果は、1999年初場所で追風海が部屋初の関取となったことだ。
その後も弟子を育て、部屋としての基盤を強化していった。
そして2021年1月場所、追手風部屋にとって歴史的な出来事が起きる。
所属力士の大栄翔が13勝2敗で幕内最高優勝を達成したのだ。
日刊スポーツは、これを追手風部屋初の幕内優勝として報じた。独立から約22年を経て、師匠が目標としてきた優勝力士を送り出したことになる。
指導方針に見える追手風親方の特徴追手風部屋の公式サイトに掲載された親方の挨拶では、強さだけでなく礼節を重んじ、人間としても成長した力士を育てることが目標として掲げられている。
また、2024年の日刊スポーツの部屋特集では、部屋創設当初のちゃんこ事情も紹介された。
親方は最初の約1年半、自らちゃんこの作り方を弟子に教えていたという。
これは、単に稽古場で相撲を教えるだけでなく、部屋の日常生活や共同生活の基盤づくりにも関わっていたことを示している。
部屋の運営では、技術指導だけでなく、食事、生活習慣、礼儀、力士同士の関係づくりも欠かせない。創設時の少人数から部屋を大きくしてきた経験は、現在の指導にもつながる要素と考えられる。
【2026年11月最新】追手風部屋の所属力士一覧!大栄翔・翔猿・日翔志の番付
2026年11月場所の番付では、追手風部屋の所属力士は合計19人。うち関取は3人となっている。
日本相撲協会の公式部屋紹介に掲載された番付をもとに、所属力士を整理すると次のとおりだ。
幕内・十両の関取大栄翔(だいえいしょう)
追手風部屋を代表する力士の一人。2021年1月場所に部屋初の幕内優勝を達成した。2026年11月場所は西前頭四枚目に位置している。
翔猿(とびざる)
機動力を生かした相撲で知られる力士。2026年11月場所は西十両二枚目。
日翔志(ひとし)
2021年に追手風部屋へ入門した力士で、2026年11月場所は西十両七枚目。日本大学出身でもあり、師匠との大学のつながりも持つ。
幕下以下の所属力士- 幕下:大喜翔、竜翔、大森、大皇翔、大雄翔、可貴、大斧
- 三段目:大飛翔
- 序二段:薩摩翔、大典翔、大志翔、大翔樹、大國、大翔、大馬翔、大翔碧
これらを関取3人と合わせると、合計19人となる。
なお、番付は場所ごとに変動するため、上記は2026年11月場所の情報である。
元遠藤は北陣親方として部屋を支える追手風部屋には、現役力士以外にも注目すべき人物がいる。
元小結・遠藤だ。
遠藤は現役引退後、年寄名跡「北陣」を襲名し、北陣親方となった。日本相撲協会の公式部屋紹介にも、追手風部屋の年寄として掲載されている。
2026年3月の日刊スポーツの報道では、追手風親方が休場していた期間、北陣親方が部屋付き親方として稽古を見ていたことが明らかになった。
現役時代に小結まで昇進した遠藤が、今度は指導する側として部屋を支える立場になったことは、追手風部屋の新しい動きの一つだ。
【親方としての評判】追手風親方の指導力は?実績と周囲の関係から検証
追手風親方の評判を考える際には、単なる知名度やネット上の印象より、部屋の育成実績や実際の指導内容を見ることが重要だ。
大栄翔の初優勝が示した育成実績2021年1月場所の大栄翔の幕内優勝は、追手風親方の指導者としてのキャリアにおける大きな節目だった。
日刊スポーツの報道では、大栄翔が師匠の紹介を通じて日本大学大学院で学んでいたことも紹介されている。
専攻はファミリービジネス。同族経営や事業承継に関する内容で、相撲部屋の運営にも通じるテーマだった。
師匠が弟子の競技生活だけでなく、将来に役立つ学びの機会を紹介していた点は興味深い。
現役時代の経験を部屋運営に生かす追手風親方自身も、大学相撲で頂点を経験し、幕下付け出しから短期間で幕内に昇進した力士だ。
その経験は、大学相撲出身者や実力を持つ新弟子の育成に生かされていると考えられる。
また、追手風部屋は大栄翔だけでなく、翔猿や日翔志など複数の関取を輩出してきた。
一人のスター力士に依存するのではなく、複数の関取を育ててきた点は、部屋の育成体制を評価する材料になる。
2026年の休場時に見えた部屋の支援体制2026年の敗血症による休場では、北陣親方が稽古を見ていた。
これは、師匠が不在でも部屋の稽古を継続できる指導体制が存在したことを示している。
相撲部屋は師匠一人で成立する組織ではない。部屋付き親方や力士、裏方などがそれぞれ役割を担う。
追手風親方が復帰後も部屋の運営に携わっていることと合わせて、組織としての継続性にも注目したい。
【誤解を整理】追手風親方について知っておきたい事実と確認ポイント
追手風親方を調べる際には、似た情報や古い情報が混ざりやすい。
特に注意したいのが、現役時代の四股名、病気からの復帰状況、遠藤との関係だ。
大翔山と追手風親方は同一人物大翔山は現役時代の四股名であり、現在の追手風親方と同一人物である。
本名は山崎直樹。大翔山という四股名から、別の親方や別の力士と混同しないようにしたい。
敗血症から復帰したが、完全回復とは限らない2026年3月8日に職務復帰したことは日刊スポーツが報じている。
しかし、復帰時点では杖を使用し、体調も完全ではなかった。
その後は9月の力士への対応や10月の断髪式への出席が報じられているものの、健康状態の完全回復を示す医学的な発表とは異なる。
「職務復帰」と「完全回復」を同じ意味で扱わないことが大切だ。
遠藤は現役力士ではなく北陣親方遠藤は追手風部屋に所属していた元力士で、現在は北陣親方として活動している。
そのため、2026年11月場所の現役所属力士一覧には含まれない。
追手風部屋は1998年に独立した部屋追手風部屋の創設は1998年10月1日。
現役時代の大翔山が引退後に親方となり、友綱部屋から独立して部屋を運営するようになった。
部屋の創設年と、現役時代の引退場所は区別して理解したい。
【よくある質問】追手風親方の現在・経歴・病気・追手風部屋について
Q1:追手風親方の本名は何ですか?
A1:本名は山崎直樹です。1966年7月7日生まれで、石川県出身。現役時代は大翔山という四股名で活躍しました。
Q2:追手風親方の学歴は?
A2:日本大学経済学部を卒業しています。大学時代にはアマチュア横綱や学生横綱を獲得し、合計12のタイトルを手にしました。
Q3:追手風親方は2026年に敗血症で入院していたのですか?
A3:はい。2026年3月8日の日刊スポーツの報道によると、敗血症で約4カ月間入院し、5〜6回の手術を受けました。3場所連続で職務を休場した後、春場所初日に復帰しています。
Q4:追手風親方は現在も部屋の師匠ですか?
A4:はい。2026年11月現在、日本相撲協会の理事であり、追手風部屋の師匠を務めています。
Q5:追手風部屋には誰が所属していますか?
A5:2026年11月場所では19人が所属しています。関取は大栄翔、翔猿、日翔志の3人です。幕下以下にも大喜翔、竜翔、可貴などが在籍しています。
Q6:元遠藤は追手風部屋にいますか?
A6:元小結・遠藤は現役を引退し、北陣親方として追手風部屋に所属しています。2026年3月には追手風親方の休場中に稽古を見ていたことが報道されています。
追手風親方は、元前頭二枚目・大翔山として活躍した山崎直樹氏である。
日本大学経済学部を卒業し、学生横綱やアマチュア横綱などの実績を引っ提げて1989年にプロ入り。1990年には幕内へ昇進し、敢闘賞1回、金星3個を獲得した。
1998年10月には追手風部屋を創設。長年の指導を通じて大栄翔、翔猿らの関取を育て、2021年には大栄翔が部屋初の幕内優勝を達成した。
2026年には敗血症による長期入院という大きな試練を経験したが、3月8日に職務復帰。その後も師匠として活動する姿が報道されている。
今後の注目点は、追手風親方の健康状態と指導活動の継続、そして大栄翔・翔猿・日翔志を中心とする所属力士の成長だ。
北陣親方となった元遠藤との連携も含め、追手風部屋がどのような次世代の関取を育てていくのか。2026年以降の大相撲を追ううえでも、注目しておきたい部屋の一つである。
主な確認資料
- 日本相撲協会「年寄プロフィール」「追手風部屋・所属力士一覧」
- 追手風部屋公式サイト「追手風親方挨拶・プロフィール」
- 日刊スポーツ(2026年3月8日)敗血症と職務復帰の報道
- 日刊スポーツ(2026年9月25日)可貴の休場に関する報道
- 共同通信(2026年10月31日)大奄美の断髪式の報道
- 日刊スポーツ(2021年1月24日)大栄翔の初優勝に関する報道
- 日刊スポーツ(2024年1月)追手風部屋のちゃんこ・創設時の取材記事