桑木知二さんが亡くなったのは、2024年8月21日の夜です。享年70歳でした。
2024年10月7日、増田さんの所属事務所が訃報を公表。増田さんも同日、公式ブログを更新し、夫の死因が膵臓がんだったことを報告しました。
所属事務所の発表によると、葬儀・告別式は親族のみで執り行われ、訃報の公表も法要後となりました。
増田さんは公式ブログで、最期の3時間について次のように振り返っています。
最期の三時間、ずっとトモの手を握って声を掛け続け、看取ることが出来ました。
ここでいう「トモ」は、桑木さんの愛称です。
増田さんは、夫が痛みから解放された安らかな表情を見せていたことにも触れています。
亡くなったのは、増田さんが横浜でライブを開催する3日前でした。桑木さんは生前、ライブを必ず観に行くと話していたそうですが、その約束は叶いませんでした。
増田さんは、夫が自分の歌う姿をとても好きだったことを明かし、今後も歌い続ける意思を伝えています。
訃報が公表された10月7日と、実際に亡くなった8月21日には約1か月半の隔たりがあります。この時間差は、病気を隠していたという単純な話ではありません。増田さん自身が悲しみと向き合いながら、仕事やファンとの時間を守ろうとしていた事情が公式ブログに記されています。
【病気発覚の経緯】目の不調から膵臓がんが見つかった理由
桑木さんの病気が判明するまでには、いくつかの体調変化がありました。
特徴的なのは、最初に気になった症状が膵臓の痛みではなく、息切れや複視だったことです。
2023年5月ごろから体力の低下増田さんの公式ブログによると、最初の変化は2023年5月ごろでした。
一緒に歩いていると桑木さんの息が上がり、先に行ってほしいと伝えることがあったそうです。
当時は運動不足ではないかと話し合う程度で、重大な病気を疑う状況ではありませんでした。
2023年12月にダブルビジョンを自覚同年12月には、桑木さんが物が二重に見える症状を訴えるようになります。
これは医学的に「複視」と呼ばれる症状です。
桑木さんは映像作品のミキサーとして仕事をしており、当時は沖縄のドキュメンタリー作品の仕事を抱えていました。
仕事を終えてから病院に行くつもりだったといいます。
2024年2月に脳ドックと眼科を受診翌年2月には脳ドックと眼科を受診しましたが、この段階では原因が分かりませんでした。
その後、主治医のいる大学病院で詳しい検査を受けることになります。
2024年3月6日に膵臓がんが判明公式ブログによると、2024年3月6日の検査で膵臓がんが見つかりました。
増田さんにとっても、目の不調を調べるための受診で膵臓がんが判明したことは、予想外の出来事でした。
当初の診断はステージ2b。しかし、その後の検査で肝臓への転移が分かり、4月初旬にはステージ4の末期がんと診断されました。
複視の原因は橋本病だったここで注意したいのが、目の症状と膵臓がんの関係です。
増田さんは公式ブログで、ダブルビジョンの原因は橋本病だったと説明しています。
橋本病は甲状腺に関係する病気です。桑木さんの場合、薬の投与によって複視は改善したとされています。
つまり、次の2つは区別する必要があります。
- 複視の原因:橋本病と判明し、薬によって改善。
- 死因となった病気:膵臓がん。肝臓への転移が確認され、ステージ4と診断。
目の症状が改善したことと、膵臓がんの進行は別の問題でした。
この経緯は、2026年1月23日の「徹子の部屋」でも増田さんが改めて語っています。
【桑木知二さんの病歴と夫婦の歩み】肺がんから膵臓がんまでの時系列
桑木さんには、膵臓がんを発症する以前にも肺がんの既往がありました。
ただし、今回の死因は肺がんではありません。過去の肺がんは早期に発見され、手術によって摘出されています。
増田さんの公式ブログと2026年のテレビ出演で明かされた情報を整理すると、次のようになります。
この年表から分かるのは、肺がんの治療を終えた後も定期的に検査を受けていた一方で、新たに発生した膵臓がんは短期間で進行したということです。
過去に肺がんを経験していたからといって、今回の膵臓がんが再発だったわけではありません。別の臓器に発生したがんです。
また、膵臓がんが見つかった時点ではステージ2bでしたが、その後に肝臓への転移が判明し、ステージ4に進んでいます。
この急激な状況の変化が、夫婦にとって大きな決断を迫ることになりました。
【抗がん剤治療を選ばなかった理由】夫婦が優先した生活の質
桑木さんの闘病生活で特に注目されたのが、抗がん剤治療を受けないという選択です。
増田さんの公式ブログによると、ステージ4と診断された後、医師から抗がん剤治療を勧められました。
増田さん自身は、夫に治療を受けてほしいという気持ちを抱いていたそうです。
一方、桑木さんには、以前から自分の人生や最期の迎え方について考えていた背景がありました。
医師から説明された余命の見通し公式ブログでは、治療について説明を受けた際の数字も公表されています。
- 抗がん剤治療を受けない場合:約4か月
- 抗がん剤治療を受ける場合:約13か月
これは当時、医師から説明された見通しであり、実際の生存期間を保証する数字ではありません。
増田さんは治療を受けてほしいと伝えましたが、桑木さんは抗がん剤について、まだ説明を聞いて納得したいことがあると話したそうです。
最終的には、夫婦で話し合い、抗がん剤治療を受けない方針を選びました。
命の長さよりも生活の質を大切に2人が選んだのは、残された時間をできるだけ穏やかに過ごすことでした。
増田さんは、公式コメントで次のように表現しています。
命の長さよりも生活の質を選ぼう!
その後、桑木さんは約5か月の自宅療養生活を送りました。
2026年1月の「徹子の部屋」で増田さんは、夫が病気を受け入れ、最期まで笑顔で暮らしていたことを振り返っています。
また、闘病中に増田さんが毎日体調を尋ねていたところ、桑木さんから、痛みについて聞かれると自分で痛いところを探してしまうので、聞かないでほしいと言われたエピソードも紹介されました。
それ以降、増田さんは夫への声のかけ方を変えたそうです。
このエピソードから伝わるのは、病気だけを中心にした生活ではなく、夫婦として過ごす日常を大切にしようとした姿勢です。
抗がん剤を受けなかったという結果だけを見ると、治療を諦めたように受け取られる可能性があります。しかし、実際には医師の説明を受け、本人の希望と夫婦の価値観を踏まえた選択でした。
【増田恵子と桑木知二の夫婦エピソード】2002年の結婚から22年間
桑木知二さんはどんな人物だったのでしょうか。
桑木さんは増田さんより4歳年上で、結婚当時は音響会社「ギルド・ジャパン」の社長を務めていました。映像作品のミキサーとしても仕事をしていたことが、2026年のテレビ出演を通じて紹介されています。
2人が結婚したのは2002年6月。増田さんが44歳のときでした。
結婚後の夫婦生活について、増田さんは過去のテレビ出演や2026年の「徹子の部屋」で、夫の人柄や日常のエピソードを語っています。
料理好きの夫が変えた増田さんの食生活特に印象的なのが、料理にまつわる話です。
増田さんは結婚するまで食事にあまりこだわっていなかったそうですが、料理好きの桑木さんの影響で、自分でも料理をするようになりました。
出汁を自分で取るようになり、食卓を丁寧に整えることを意識するようになったといいます。
これは、単に料理が上達したという話ではありません。
長く芸能界で活動し、多忙な日々を送ってきた増田さんにとって、夫との生活が日常の過ごし方を変えるきっかけになったことが分かります。
増田さんの歌手活動を支えた夫桑木さんは、増田さんが歌う姿をとても好きだったそうです。
2024年8月のライブについても、必ず観に行くと話していました。
膵臓がんが判明した後も、増田さんには仕事を続けてほしいという思いを伝えていたといいます。
増田さんが仕事をキャンセルする必要はないと話し、歌うことを勧めたエピソードは、夫婦の関係を象徴する出来事の一つです。
夫婦で大切にした最後の時間2026年の「徹子の部屋」では、闘病中の桑木さんが最後まで笑顔で生活していたことも語られました。
増田さんは、夫の写真に語りかけるように日々を始めていることも紹介されています。
日刊スポーツの報道では、夫が亡くなった後も、その存在を身近に感じながら暮らしている様子が伝えられました。
22年間という結婚生活の中で築かれた関係は、死別によって消えるものではありません。料理や歌、日常の習慣など、桑木さんから受け取ったものが増田さんの現在の暮らしにもつながっています。
【2026年最新】増田恵子は現在も歌手活動を継続
2026年11月現在、増田惠子さんは芸能活動を続けています。
2026年はピンク・レディーのデビュー50周年、そして増田さんのソロデビュー45周年という節目の年です。
夫を亡くした後も、歌手としてステージに立ち続けています。
2026年1月23日「徹子の部屋」に出演2026年1月23日、テレビ朝日系「徹子の部屋」に出演しました。
この番組では、桑木さんの膵臓がん発覚から亡くなるまでの経緯、抗がん剤治療を選ばなかった理由、夫婦の思い出などを語っています。
特に注目されたのは、夫が最後まで自分らしく笑顔で過ごしたこと、そして夫から受け取った言葉を大切にしているという話でした。
番組では、ピンク・レディー時代の多忙な生活についても振り返っています。
デビュー50周年とソロ45周年の活動2026年は、音楽活動においても大きな節目となっています。
公式サイトで確認できる主な活動は次のとおりです。
- 2026年1月23日:「徹子の部屋」出演
- 2026年2月6日:ソロデビュー45周年記念コンサート開催
- 2026年4月:コンサート映像や音楽番組の放送
- 2026年7月:NHKの音楽番組などに出演
- 2026年8月:日本テレビ「上田と女が吠える夜」に出演
- 2026年10月25日:ヤマハ ジャズ フェスティバル出演
加えて、公式サイトでは2026年12月14日の京都でのクリスマスディナーショーも告知されています。
2027年2月には、ソロ・カバー・ピンク・レディーの楽曲を取り上げるコンサートの開催も発表されています。
このように、2026年の増田さんはテレビ出演だけでなく、ライブや記念公演など幅広い活動を続けています。
夫が生前に応援していた歌手活動を、現在も大切にしていることがうかがえます。
【プロの結論】桑木知二さんの死因をめぐる3つの誤解
桑木さんの訃報や闘病生活については、複数の情報が混在しやすいため、要点を整理します。
誤解1:死因は肺がんだった?違います。
過去に肺がんを患っていたことは事実ですが、早期発見され、摘出手術を受けています。
亡くなった原因は、2024年3月に判明した膵臓がんです。
誤解2:複視は膵臓がんの症状だった?増田さんの説明では、複視の原因は橋本病でした。
薬を服用したことで症状は改善しています。
目の症状と膵臓がんの発覚が同じ時期に起きたため、混同されやすい部分ですが、両者は区別して理解する必要があります。
誤解3:抗がん剤治療を拒否したのは増田さん?これも正確ではありません。
増田さんは当初、夫に抗がん剤治療を受けてほしいと伝えています。
最終的には桑木さん本人の考えを尊重し、夫婦で話し合って生活の質を優先する方針を決めました。
この3点を整理すると、病気の経過だけでなく、夫婦がどのような思いで最期の時間を過ごしたのかも理解しやすくなります。
【増田恵子の夫の死因】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:増田恵子さんの夫・桑木知二さんの死因は何ですか?
A1:2024年8月21日に膵臓がんのため亡くなりました。享年70歳です。2024年10月7日に増田さんの所属事務所と公式ブログを通じて公表されました。
Q2:桑木知二さんはいつ膵臓がんと診断されましたか?
A2:2024年3月6日です。当初はステージ2bと診断されましたが、その後、肝臓への転移が判明し、4月初旬にはステージ4と診断されました。
Q3:桑木知二さんは抗がん剤治療を受けましたか?
A3:抗がん剤治療は受けず、夫婦で生活の質を優先する方針を選びました。約5か月の自宅療養生活を送ったと、2026年の「徹子の部屋」出演時にも紹介されています。
Q4:桑木知二さんの複視は膵臓がんが原因だったのですか?
A4:増田さんの公式ブログでは、複視の原因は橋本病と説明されています。薬の投与によって改善したそうです。
Q5:増田恵子さんは2026年現在も活動していますか?
A5:はい。ピンク・レディーのデビュー50周年、ソロデビュー45周年を迎え、コンサートやテレビ出演などの活動を続けています。
増田惠子さんの夫・桑木知二さんの死因は、膵臓がんでした。
2024年3月に発覚し、肝臓への転移によって4月初旬にはステージ4と診断。抗がん剤治療を受ける選択肢もありましたが、夫婦で話し合い、生活の質を優先する方針を選びました。
2024年8月21日に70歳で亡くなり、同年10月7日に訃報が公表されています。
2026年1月の「徹子の部屋」では、増田さんが夫との22年間の結婚生活や闘病中の思い出を語りました。
そして2026年11月現在、増田さんは歌手活動を継続しています。
桑木さんが大切にしていた増田さんの歌声。その歌をこれからも届けていくことは、夫婦で過ごした時間を胸に刻みながら歩む増田さんの新たな人生にもつながっています。