横山裕さんの母親が亡くなった後、家族にはもう一つ大きな出来事が起きました。
母親の死に強いショックを受けた次男が倒れ、一時的に記憶を失ってしまったのです。
弟の記憶が約2年分なくなったこのエピソードは、2026年5月9日放送の日本テレビ系『アナザースカイ』で横山さん本人が語りました。
次男は母親が亡くなったことを理解できず、病院の関係者から母親の死を告げられても、何を言われているのか分からない状態だったといいます。
横山さんは当時の弟について、約2年分の記憶がなくなっていたと説明しました。
医師からは、精神的なショックや栄養状態の悪化などが関係し、普段どおり生活するなかで記憶が戻る可能性もあれば、戻らない可能性もあると伝えられたそうです。
兄弟3人で初めて海外旅行に出かけた理由横山さんが弟たちを連れてフィリピン・セブ島へ旅行したのは、母親の死後に次男の記憶が失われたことが大きなきっかけでした。
横山さんは、弟に楽しい思い出を作ってあげたいと考え、仕事の合間を縫って兄弟3人で初めての海外旅行を計画したのです。
2026年の『アナザースカイ』では、当時のセブ旅行を再現するため、三男の充さんと再訪しました。
番組では、横山さんが15年間変えていない携帯電話の待ち受け写真も紹介されました。
それは、15年前に兄弟3人でセブ島を訪れたときの写真です。
次男の記憶は、その後の旅行などを経て回復しました。
横山さんは、楽しい思い出を作ることの大切さを改めて感じたと語っています。
弟たちの現在は?兄として見届けた成長2026年の番組では、弟たちがそれぞれ自立した生活を送っていることも明らかになりました。
- 次男:家庭を持ち、子どももいる。
- 三男:税理士として活躍している。
- 横山裕:兄として弟たちの成長を見守ってきた。
三男は番組内で、幼いころの横山さんについて「絶対的兄貴」だったという関係性を振り返っています。
また、横山さんは弟たちを支えることについて、次のような趣旨の思いを語りました。
大変なんて一回も思ったことない。
弟たちと出会えたこと自体が、母親に感謝する理由だという言葉も印象的でした。
かつて母親が守ってきた3人の兄弟は、それぞれの人生を歩みながら、今も家族としてつながっています。
【2026年最新】母親との思い出を語った新エピソードと事実関係
2026年には、横山さんが母親について語った新しいエピソードも報じられました。
特に注目したいのは、東京で初めて仕事をした際の母親との思い出と、母親の死後に支えてくれた友人の存在です。
初めて東京で仕事をしたとき、母親が渡した1万円2026年4月24日、横山さんは文化放送のラジオ番組『SUPER EIGHT横山裕の近況ですけども』で、亡き母親との思い出を語りました。
関ジャニ∞として活動を始め、東京で初めて仕事をすることになったときのことです。
母親は横山さんを新大阪駅まで送り、1万円を渡してくれたといいます。
そのときの言葉は、
何かあったらこれ使い。
というものでした。
横山さんは、当時の母親には大きなお金を用意する余裕などなかったはずだと振り返っています。
それでも、東京へ向かう息子のためにお金を工面してくれたことを、今でもよく覚えているそうです。
横山さんが1万円の重みを強く感じる理由には、母親がどれほど苦労してそのお金を用意したのかを知っていることがあります。
このエピソードは2026年4月24日付のスポニチアネックスでも報じられました。
母親が亡くなった翌日、東京まで会いに来た月亭八光2026年8月30日放送の日本テレビ系『おしゃれクリップ』では、母親を亡くした直後の横山さんを支えた人物についても語られました。
その人物は、落語家の月亭八光さんです。
横山さんによると、月亭八光さんは母親が亡くなった翌日に東京まで来てくれました。
しかし、母親の死について詳しく尋ねることはせず、ただ「ご飯を食べよう」と誘ってくれたそうです。
食事を終えると、八光さんはすぐに大阪へ戻りました。
横山さんは、寂しい思いをしているだろうと察して、あえて何も聞かずに食事に誘ってくれたのだと受け止めています。
その気遣いがとてもうれしかったと振り返りました。
横山裕と母親・弟・楽曲をめぐる時系列一覧これまでに本人が語った内容や、2026年までの報道を整理すると、家族と芸能活動の関係は次のようになります。
横山さんの母親については、死因や家族構成、芸能界入りの経緯など、さまざまな情報が検索されています。
特に混同されやすいポイントを整理します。
- 「母親はがんで亡くなった?」:がんを患っていたことは本人が語っていますが、死因として報じられているのは虚血性心疾患です。
- 「母親はずっとシングルマザーだった?」:3歳で両親が離婚した後、母親は再婚しています。その後、再び離婚した経緯も語られています。
- 「母親がジャニーズに応募したのは本当?」:2025年のテレビ出演に関する報道で、15歳のときに母親が応募したことが紹介されています。
- 「母親は現在も健在?」:2010年5月に亡くなっています。
- 「弟の記憶は戻った?」:2026年の『アナザースカイ』で、次男の記憶が回復したことが語られています。
2026年までに公表された内容から見ると、母親に関する話題の中心は、亡くなった経緯だけでなく、横山さんの人生や弟たちとの関係に残した影響にあります。
【よくある質問】横山裕の母親に関するFAQ
Q1:横山裕の母親はいつ亡くなりましたか?
A1:2010年5月16日と報じられています。青森でソロコンサートを開催する直前に訃報が届きました。母親は51歳だったと2026年の報道で伝えられています。
Q2:横山裕の母親の死因は何ですか?
A2:虚血性心疾患です。母親は生前にがんを患っていたことも本人が明かしていますが、死因として報じられているのは虚血性心疾患です。
Q3:「オニギシ」は母親のために作った曲ですか?
A3:はい。横山さんが幼少期に「おにぎり」を「オニギシ」と呼んでいた思い出などをもとに、母親への感謝を込めて作詞した楽曲です。関ジャニ∞のアルバム『KJ1 F・T・O』に収録されています。
横山裕さんの母親は、生活が苦しい時期にも3人の子どもを育て、息子の芸能界入りを後押しした人物でした。
2010年5月、51歳で虚血性心疾患により亡くなりましたが、その存在は横山さんの人生に深く刻まれています。
母親との関係を振り返るうえで、特に重要なのは次の3点です。
1. 芸能界入りのきっかけを作ったこと:15歳の横山さんのためにジャニーズ事務所へ履歴書を送った。
2. 家族を支える姿を見せたこと:経済的に厳しい生活でも、子どもたちを優先して育てた。
3. 音楽と記憶に残る存在であること:「オニギシ」を通して母親への感謝を伝え続けている。
2026年の『アナザースカイ』で語られた弟との旅行や、『おしゃれクリップ』で明かされた友人の支え、ラジオで振り返った1万円の思い出は、母親との関係が今も横山さんの人生に息づいていることを伝えています。
母親が亡くなったことは変えられなくても、母親と過ごした時間や、母親から受け取った愛情は消えない。
「オニギシ」を歌い続ける横山さんの姿には、家族への感謝と、母親から受け継いだ大切な思いが表れています。