戸郷翔征(とごう・しょうせい)は、読売ジャイアンツに所属する右投右打のプロ野球投手だ。2000年4月4日生まれ、宮崎県都城市出身。2026年11月現在26歳で、背番号20を背負っている。
小学1年生で野球を始め、中学校では捕手から投手へ転向。その後、聖心ウルスラ学園高校でエースとして甲子園に出場し、2018年のドラフト会議で巨人から6位指名を受けた。プロ入り後は先発ローテーションの中心へ成長し、2023年から投手キャプテンを務めるなど、若くしてチームを支える存在になった。2024年には阪神戦でノーヒットノーランも達成している。
2026年は左太もも裏の肉離れによる離脱を経験したものの、9月に一軍復帰。シーズン成績は14試合登板、5勝3敗、防御率2.48だった。輝かしい実績だけでなく、少年時代の環境やポジション転向、苦しいシーズンからの再起までを追うと、戸郷翔征という投手の歩みが見えてくる。
【基本プロフィール】戸郷翔征の読み方・年齢・出身地・所属球団
戸郷翔征の名前は「とごう・しょうせい」と読む。「戸郷」という名字は「とごう」と読み、名前の「翔征」は「しょうせい」だ。
日本野球機構(NPB)の選手情報と公式プロフィールを基に、基本情報を整理する。
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 名前 | 戸郷翔征 |
| 読み方 | とごう・しょうせい |
| 生年月日 | 2000年4月4日 |
| 年齢 | 26歳(2026年11月現在) |
| 出身地 | 宮崎県都城市 |
| 身長 | 187cm |
| 体重 | 85kg |
| 血液型 | AB型 |
| 投打 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| 所属球団 | 読売ジャイアンツ |
| 背番号 | 20 |
| ドラフト | 2018年・巨人6位指名 |
| 出身高校 | 聖心ウルスラ学園高校 |
戸郷は187cmの長身を生かしたダイナミックな投球フォームが特徴で、力強いストレートとフォークを軸に打者と対峙する。
出身地は宮崎県都城市。小学校時代は三股町、中学校時代は都城市で野球に取り組んだ。
ここで押さえておきたいのは、戸郷が宮崎県の地域に根差した野球環境で成長した選手だという点だ。幼少期から全国的な強豪校に所属していたわけではなく、地元の少年野球から一歩ずつ競技力を高めていった。
また、戸郷の名前が注目される理由は成績だけではない。若い時期から投手キャプテンを任され、チーム内で責任ある役割を担ってきたことも、人物像を理解するうえで欠かせない。
【少年時代から投手転向まで】宮崎県都城市で育った戸郷翔征の原点
小学1年生で野球を始めたきっかけ戸郷が野球を始めたのは小学1年生のときだ。
宮崎県都城市の広報誌「広報都城」2019年1月号によると、野球をしていた父親と兄の影響を受け、少年野球の世界に入った。
父親からは「野球を強くしなさい」という言葉を受けていたという。身近な家族が野球に取り組む姿を見て育ったことが、競技を始めるきっかけになった。
小学生時代の所属チームについては、資料によって表記に違いがある。
週刊ベースボールONLINEのプロフィールでは、三股西小学校時代の経歴として「三股西ファイターズ」と「三股ブルースカイ」の両チーム名が記載されている。一方、都城市の広報誌や2018年のドラフト時の日刊スポーツの記事では、小学1年生から「三股ブルースカイ」で野球を始めたと紹介されている。
そのため、少年時代の所属先を調べる際には、三股西ファイターズと三股ブルースカイの両方が経歴資料に登場することを押さえておきたい。
いずれにしても、宮崎県三股町周辺の少年野球が戸郷の競技人生の出発点だった。
都城市立妻ケ丘中学校で捕手から投手へ転向戸郷の経歴で特に興味深いのが、中学時代のポジション変更だ。
進学先は都城市立妻ケ丘中学校。同校の軟式野球部に所属し、最初は捕手としてプレーしていた。
- 中学1年生:主に捕手としてプレー
- 中学2年生:投手へ本格的に転向
都城市の広報誌によると、戸郷は中学1年生まで捕手を務め、2年生で投手へ転向した。
この転機には、当時の野球部の指導者の存在があった。
日刊スポーツの2020年のインタビュー記事では、妻ケ丘中の武田監督が戸郷の遠投を見て、投手一本で取り組むよう導いた経緯が紹介されている。
投手転向後、戸郷は制球力を意識した練習に取り組んだ。本人も一球ごとにコントロールを意識して投げ込んでいたことを振り返っている。
加えて、捕手としての経験も無駄にはならなかった。
捕手時代に培った配球を考える視点や、打者の心理を想像する感覚は、投手になってからも役立ったという。自分が投げたい球だけでなく、打者との駆け引きを意識できる背景には、捕手として過ごした時間がある。
少年時代からプロ入りまでの経歴年表戸郷の成長過程を、関係する学校やチームとともに整理すると次のようになる。
| 時期 | 関係する場所・組織 | 出来事・転換点 |
|---|---|---|
| 小学1年生 | 三股西小学校・少年野球チーム | 父と兄の影響で野球を始める |
| 小学生時代 | 三股西ファイターズ・三股ブルースカイ | 地元の少年野球で基礎を身につける |
| 中学1年生 | 都城市立妻ケ丘中学校 | 軟式野球部で捕手としてプレー |
| 中学2年生 | 妻ケ丘中学校 | 指導者の勧めもあり投手へ転向 |
| 2017年 | 聖心ウルスラ学園高校 | 2年夏にエースとして甲子園出場 |
| 2018年 | 宮崎県高校選抜 | U-18日本代表との壮行試合で好投 |
| 2018年10月25日 | 読売ジャイアンツ | ドラフト6位指名 |
| 2019年 | 読売ジャイアンツ | プロデビュー |
| 2022年 | 読売ジャイアンツ | セ・リーグ最多奪三振を獲得 |
| 2023年 | 読売ジャイアンツ | 投手キャプテンに就任、WBC日本代表に選出 |
| 2024年 | 読売ジャイアンツ | ノーヒットノーラン達成、選手会副会長を務める |
| 2025年 | 読売ジャイアンツ | 8勝9敗、防御率4.14 |
| 2026年 | 読売ジャイアンツ | 左太もも裏の負傷から復帰し、5勝3敗でシーズン終了 |
この年表で注目したいのは、捕手から投手への転向が中学2年生という比較的早い段階で行われたことだ。
ポジション変更は単なる役割の変更ではない。投球技術を身につけながら、捕手時代の経験を投手としての判断力に結び付けていった点が、戸郷の成長を理解する要点になる。
【高校時代からプロ入りへ】聖心ウルスラ学園で開花した才能
2年夏に甲子園のマウンドを経験中学校を卒業した戸郷は、宮崎県延岡市にある聖心ウルスラ学園高校へ進学した。
高校では硬式野球部に所属。1年生の秋からベンチ入りを果たし、徐々にチーム内で存在感を高めていった。
大きな転機になったのは2017年夏だ。
第99回全国高等学校野球選手権大会にエースとして出場。地方の高校から全国大会へ進み、大舞台で投手としての経験を積んだ。
都城市の広報誌でも、この甲子園出場がプロ野球選手を目指す気持ちを強くするきっかけになったと紹介されている。
2018年夏には、宮崎県高校選抜の一員としてU-18日本代表との壮行試合に登板した。
この試合では、5回1/3を投げて9奪三振を記録。大阪桐蔭の藤原恭大、根尾昂らから三振を奪ったことも報道され、全国的に注目される存在となった。
2018年ドラフト6位で巨人に入団2018年10月25日、プロ野球ドラフト会議が開催された。
戸郷は読売ジャイアンツから6位指名を受ける。
指名を受けた聖心ウルスラ学園高校の公式発表によると、戸郷は学校内に設けられた会見場で指名の瞬間を迎えた。
当時のコメントでは、指名について「素直にうれしいです。両親、監督、チームメート全ての人に感謝したいです」と喜びを語っている。
ドラフト6位という順位からのスタートだったが、入団後は着実に実績を積み重ねた。
2019年に一軍デビューを果たし、2020年には一軍で19試合に登板。若手投手として成長を続け、先発ローテーションを担う存在になっていった。
プロ入り後の成績と成長NPBの年度別投手成績を基に、主なシーズンを比較する。
| 年度 | 登板 | 勝敗 | 防御率 | 投球回 | 主な出来事 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2019年 | 2 | 1勝0敗 | 2.08 | 8回2/3 | 一軍デビュー |
| 2020年 | 19 | 9勝6敗 | 2.76 | 107回2/3 | 先発投手として成長 |
| 2021年 | 26 | 9勝8敗 | 4.27 | 151回2/3 | 一軍で経験を蓄積 |
| 2022年 | 25 | 12勝8敗 | 2.62 | 171回2/3 | 最多奪三振を獲得 |
| 2023年 | 24 | 12勝5敗 | 2.38 | 170回 | WBC出場、投手キャプテン |
| 2024年 | 26 | 12勝8敗 | 1.95 | 180回 | ノーヒットノーラン達成 |
| 2025年 | 21 | 8勝9敗 | 4.14 | 111回 | 不振に苦しむ |
| 2026年 | 14 | 5勝3敗 | 2.48 | 80回 | 負傷離脱を経て復帰 |
特に2022年から2024年までの3年間は、戸郷の実力が一段階上がった時期だ。
2022年には12勝を挙げ、154奪三振でセ・リーグ最多奪三振を獲得。2023年も12勝を記録し、安定した先発投手としての地位を確立した。
そして2024年には、防御率1.95、12勝8敗、180投球回という優秀な成績を残した。
2025年の不振を挟みながらも、2026年には防御率2点台へ改善している。単年の勝敗だけでなく、複数年の推移を見ることが戸郷の成長を評価するうえで大切だ。
【巨人の投手キャプテン・選手会副会長】若くして担ったリーダーの役割
2023年から投手キャプテンに就任戸郷は投手としての実績だけでなく、チーム内での役割も早くから大きくなった。
2022年11月、巨人は翌2023年シーズンの新体制を発表。岡本和真がキャプテンに就任し、吉川尚輝が副キャプテン、戸郷翔征が投手キャプテンを務めることになった。
当時の戸郷は22歳。若手投手でありながら、投手陣をまとめる役割を任された。
投手キャプテンは、単に登板成績が優秀な選手に与えられる肩書ではない。
先発投手と救援投手の連携、練習への取り組み方、試合に向けた準備など、投手陣全体に関わる責任を伴う。
先発ローテーションの中心として登板を重ねながら、チーム内でも責任ある立場を担うようになったことは、戸郷のキャリアにおける大きな変化だった。
2024年からは巨人の選手会副会長も担当2024年からは、巨人の選手会副会長を務めた。
2023年10月に選手会長が菅野智之から大城卓三へ交代した際、戸郷が副会長に就任したことも報道されている。
ここで注意したいのが、選手会の役職の区別だ。
巨人の球団内にある選手会と、12球団の選手で構成される日本プロ野球選手会は別の組織である。
日本プロ野球選手会の公式役員名簿と、読売ジャイアンツ選手会の役員名簿はそれぞれ異なる。2026年に掲載されている巨人選手会の役員名簿では、吉川尚輝が会長、大勢と山﨑伊織が副会長となっている。
そのため、戸郷については「2024年から巨人の選手会副会長を務めた経歴がある」と整理するのが適切だ。
投手キャプテンと選手会副会長という役割を経験したことは、戸郷が競技面だけでなく、組織の中でも期待されてきたことを示している。
2024年5月24日、阪神戦でノーヒットノーラン戸郷のキャリアを語るうえで欠かせないのが、2024年5月24日の阪神タイガース戦だ。
甲子園球場で行われた試合で、戸郷は9回を投げ切り、阪神打線に1本も安打を許さなかった。
巨人が1対0で勝利し、戸郷はノーヒットノーランを達成した。
NPBの公式記録によれば、これはプロ野球史上89人目、通算101度目の快挙だった。
加えて、巨人の投手が甲子園での阪神戦でノーヒットノーランを達成したのは、1936年の沢村栄治以来の歴史的な出来事だった。
この試合ではフォークを決め球として使い、最後の打者から三振を奪って記録を達成した。
2024年はシーズンを通じても防御率1.95、156奪三振を記録。2022年に続いて2度目の最多奪三振を獲得している。
戸郷が単なる若手有望株ではなく、巨人のエース候補として評価されるようになった理由が、この時期の実績に表れている。
【2026年最新情報】戸郷翔征の現在と今シーズンの成績
2026年の戸郷は、シーズン途中の負傷離脱と一軍復帰という大きな出来事を経験した。
7月に左太もも裏の肉離れで離脱2026年7月7日の阪神戦で、戸郷は走塁中に左脚を痛めた。
5回まで無安打投球を続けていたが、打席で三ゴロを打って一塁へ全力疾走した際、左太もも裏を負傷した。
翌8日、球団は東京都内の病院で左太もも裏の肉離れと診断されたことを発表。出場選手登録を抹消され、故障班でリハビリに取り組むことになった。
プロ入り後、本人にとって初めてのけがによる長期離脱だった。
当時の報道では、戸郷はチームに対して申し訳ない気持ちを語りながらも、再発を防ぐために治療と調整を優先する姿勢を示していた。
9月1日に一軍復帰約2か月のリハビリを経て、戸郷は2026年9月1日のDeNA戦で一軍復帰を果たした。
復帰登板は5回92球、5安打3失点。球数制限のある中での登板だった。
その後も登板を重ね、9月29日の広島戦では復調を印象づける好投を見せた。
この試合では8回2/3を投げ、被安打2、奪三振8、1失点。巨人が3対1で勝利し、戸郷は今季5勝目を挙げた。
9回2死から本塁打を許し、完封こそ逃したものの、長いリハビリ期間を経て先発投手としての力を示した登板だった。
試合後、戸郷は自分の投球内容に納得できたことを振り返り、球速やバランスの面でも良い一日だったと語っている。
2026年シーズンの最終成績NPBの2026年度個人投手成績によると、戸郷のシーズン成績は次のとおりだ。
| 成績項目 | 2026年の記録 |
|---|---|
| 登板数 | 14試合 |
| 先発 | 14試合 |
| 勝利 | 5勝 |
| 敗戦 | 3敗 |
| 防御率 | 2.48 |
| 投球回 | 80回 |
| 奪三振 | 82 |
| 被安打 | 58 |
| 被本塁打 | 9 |
| 与四球 | 24 |
| WHIP | 1.03 |
防御率2.48という数字は、2025年の4.14から改善した結果だ。
一方、登板数は14試合、投球回は80回にとどまった。これはシーズン途中の負傷離脱が影響している。
2026年9月29日の登板が一軍での最後の登板となり、翌30日に出場選手登録を抹消された。
したがって、2026年の戸郷を評価する際には、投球内容の改善と、年間を通じて先発ローテーションを守れなかった点を分けて考える必要がある。
単純に勝敗だけを見れば5勝3敗だが、防御率2.48、82奪三振という数字からは、復帰後に投手としての力を取り戻したこともうかがえる。
【戸郷翔征はどんな投手なのか】投球スタイルと人物像を分析
ストレートとフォークを軸にする本格派右腕戸郷の投球スタイルを理解するうえで重要なのが、ストレートとフォークの組み合わせだ。
187cmの体格から投げ込むストレートは、打者に対して強い圧力を与える。
一方、フォークは空振りを奪う決め球として機能する。ストレートで打者のタイミングを作り、変化球で打ち取る組み立てが基本となる。
2026年の投球データでは、ストレートの最速は154km/h。フォークやスライダーも使用しており、球種を組み合わせて打者と対峙している。
また、戸郷の投球フォームはダイナミックで独特なアーム式として知られる。
日刊スポーツの2020年のインタビューでは、投手転向後にさまざまな投手の映像を見て研究したことや、憧れの投手のフォームをそのまままねるのではなく、自分が投げやすいフォームを意識してきたことが紹介されている。
こうした経緯からも、戸郷は自分に合った投球スタイルを模索しながら成長してきた投手だと分かる。
捕手経験が生かされる投球の組み立て戸郷の特徴を語る際、見落とされがちなのが中学時代の捕手経験だ。
捕手は投手の投球を受けるだけでなく、打者の特徴や配球、試合の流れを考えるポジションでもある。
戸郷は中学1年生まで捕手を務めていたため、投手に転向してからも配球を考える習慣があった。
自分が投げたい球を投げるだけではなく、打者が何を待っているのか、どの球種を選択すれば有利になるのかを考える視点は、捕手経験から得られた強みの一つだ。
2024年のノーヒットノーランも、単に球速で打者を圧倒した結果ではない。試合を通して打者を抑え、最後まで投球を組み立てたことが記録につながった。
2025年の不振と2026年の再起が示すもの戸郷のキャリアには、順調な成長だけでなく、苦しい時期も存在する。
2025年は21試合に登板して8勝9敗、防御率4.14。2022年から2024年まで続けていた安定した成績から大きく数字を落とした。
そして2026年は、シーズン途中の肉離れによる離脱を経験した。
それでも復帰後の9月29日には8回2/3を投げて2安打1失点という好投を記録している。
この2年間を比較すると、戸郷の評価では次の3点が重要になる。
1. 投球内容の改善: 2025年の防御率4.14から2026年は2.48へ改善した。
2. 先発としての安定性: 2026年は14試合すべてで先発し、復帰後も先発投手として結果を残した。
3. 年間を通じた稼働: 負傷によって登板数が限られたため、今後は健康状態と先発ローテーションへの定着が課題になる。
勝利数だけでは、投手の実力を十分に評価できない。
防御率、投球回、奪三振、WHIP、登板間隔などを組み合わせることで、戸郷の現在地をより正確に把握できる。
【プロの結論】
戸郷翔征の最大の特徴は、少年時代の捕手経験から投手としての技術を身につけ、巨人の先発の柱へ成長してきたことにある。
投手転向後に制球力を磨き、高校で甲子園を経験し、プロでは最多奪三振やノーヒットノーランを達成した。その過程で投手キャプテンや選手会副会長も経験している。
2026年は負傷離脱によって年間の登板数こそ限られたものの、防御率2.48という数字でシーズンを終えた。
今後の評価では、球速や奪三振数だけでなく、年間を通じた投球回数、先発としての安定性、けがからの回復状況を確認することが重要だ。
【戸郷翔征に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:戸郷翔征の読み方は?
A1:戸郷翔征は「とごう・しょうせい」と読む。読売ジャイアンツに所属する右投右打の投手だ。
Q2:戸郷翔征は何歳?
A2:2000年4月4日生まれ。2026年11月現在26歳。
Q3:戸郷翔征の出身地はどこ?
A3:宮崎県都城市。小学生時代は三股町周辺で少年野球に取り組み、都城市立妻ケ丘中学校に進学した。
Q4:戸郷翔征が野球を始めたきっかけは?
A4:野球をしていた父親と兄の影響。小学1年生から少年野球を始めたことが、プロ野球選手への出発点となった。
Q5:戸郷翔征はなぜ投手に転向した?
A5:中学1年生までは捕手だったが、2年生のときに妻ケ丘中の武田監督が遠投能力に注目し、投手として本格的に取り組むよう導いた。
Q6:戸郷翔征はいつ巨人に入団した?
A6:2018年のドラフト会議で読売ジャイアンツから6位指名を受け、2019年にプロデビューした。
Q7:戸郷翔征は投手キャプテンなの?
A7:2023年シーズンから巨人の投手キャプテンを務めた。若くして投手陣をまとめる役割を任された選手だ。
Q8:戸郷翔征はノーヒットノーランを達成した?
A8:達成している。2024年5月24日の阪神戦で、甲子園球場において9回無安打無失点の投球を披露した。プロ野球史上89人目、通算101度目の記録だった。
Q9:戸郷翔征の2026年の成績は?
A9:14試合に登板して5勝3敗、防御率2.48、80投球回、82奪三振。左太もも裏の肉離れによる離脱を経験したが、9月に一軍へ復帰した。
戸郷翔征は、宮崎県都城市で育ち、小学1年生から野球を始めたプロ野球選手だ。
三股町周辺の少年野球を出発点に、妻ケ丘中学校では捕手から投手へ転向。聖心ウルスラ学園高校で甲子園に出場し、2018年のドラフト6位で巨人に入団した。
プロ入り後は先発投手として成長し、2022年と2024年に最多奪三振を獲得。2024年にはノーヒットノーランという歴史的な記録も残した。
また、2023年から投手キャプテンを務め、2024年には巨人の選手会副会長も経験。競技面だけでなく、チーム内での責任ある役割も担ってきた。
2026年は左太もも裏の肉離れによって長期離脱したが、9月に復帰し、防御率2.48でシーズンを終えた。
今後の注目要点は、次の3つだ。
- 健康状態と年間稼働: けがからの回復を進め、先発ローテーションを年間通じて守れるか。
- 投球内容の安定: ストレートとフォークを軸に、制球力と奪三振能力を維持できるか。
- チーム内での存在感: 投手陣の中心として、若手投手を含むチーム全体を支えられるか。
戸郷翔征の歩みは、少年野球から始まった一人の投手が、努力と経験を重ねて巨人の主力へ成長してきた過程そのものだ。
2025年の不振、2026年の負傷離脱と復帰を経て、次のシーズンにどのような投球を見せるのか。これまでの実績に加え、健康状態と年間を通じた安定感が、今後の戸郷翔征を評価する大きな基準になる。
主要な情報確認資料- 日本野球機構(NPB):選手プロフィール・年度別投手成績・2026年公式記録。
- 都城市公式広報誌「広報都城」2019年1月号:少年時代、野球を始めたきっかけ、中学時代の投手転向。
- 聖心ウルスラ学園高校公式発表:2018年ドラフト6位指名。
- 日刊スポーツ:中学時代の投手転向、2026年の負傷と復帰。
- 日本プロ野球選手会:組織構成と2026年役員名簿。