ホーム 芸能ニュース・ゴシップ 白濱亜嵐の幼少期とは?松山の家族と母のルーツ、ダンスの原点を2026年最新情報で解説

白濱亜嵐の幼少期とは?松山の家族と母のルーツ、ダンスの原点を2026年最新情報で解説

黒羽 理沙 黒羽 理沙 • 更新: • 公開: • 読了約 20 分
目次

白濱亜嵐(しらはま・あらん)さんの幼少期には、愛媛県松山市での暮らしや、フィリピン出身の母親と日本人の父親を持つ家庭環境が深く関係しています。幼い頃から教会やフィリピン人コミュニティに親しみ、夏休みには母方の親族が暮らすフィリピンで過ごすなど、複数の文化に触れながら成長しました。

一方、母親が外国出身であることから、子ども時代には心ない言葉や周囲の偏見に触れた経験も明かしています。そんな母親の明るさや強さを受け継ぎ、中学生の頃に二代目 J SOUL BROTHERSのパフォーマンスに衝撃を受けたことが、ダンスの道へ進むきっかけになりました。2026年現在の活動にもつながる、白濱亜嵐さんの生い立ちと家族のエピソードを詳しく紹介します。

【生い立ち】白濱亜嵐は愛媛県松山市でどんな幼少期を過ごした?

白濱亜嵐幼少期

白濱亜嵐さんは、1993年8月4日生まれ、愛媛県出身のダンサー・俳優・DJです。

GENERATIONS from EXILE TRIBEのリーダー兼パフォーマーとして知られ、EXILEやPKCZ®でも活動しています。

公式プロフィールでは出身地を愛媛県としており、本人のインタビューやテレビ番組でも、愛媛県松山市で育ったことが紹介されています。

幼少期の白濱さんは、現在の華やかなアーティストとしての姿からは想像しにくい、地元に根差した少年時代を過ごしていました。

幼い頃はサッカーにも親しんでいた

白濱さんの少年時代を語るうえで、ダンスだけでなくスポーツも見逃せません。

幼少期から中学生の頃まではサッカーにも親しんでおり、音楽やダンスに本格的に取り組む前には、スポーツ少年としての一面もありました。

その後、二代目 J SOUL BROTHERSのパフォーマンスを目の当たりにしたことで、興味の対象が大きく変わっていきます。

つまり、最初からダンサーになることだけを目指していたわけではありません。身近なスポーツや家族との生活を送りながら、あるライブ体験をきっかけに将来の夢を見つけたのです。

松山で育ったことが現在の活動にもつながる

白濱さんは愛媛県への思い入れが強く、地元とのつながりも大切にしています。

2026年には、松山市で開催された第69回オールスター競輪のスペシャルアンバサダーにも就任しました。

幼少期を過ごした土地で、全国的に知られるアーティストとして地域のイベントに関わることは、本人のキャリアを振り返るうえでも印象的な出来事です。

【家族構成とルーツ】母親はフィリピン人、父親は日本人!

白濱亜嵐さんのルーツを理解するには、両親と母方の家族について知ることが欠かせません。

母親はフィリピン出身、父親は日本人です。そのため、白濱さんは日本とフィリピンの両方にルーツを持っています。

母親はフィリピン出身のメアリージェインさん

2024年11月に放送されたABCテレビのドキュメンタリー番組『Rising Sun ~後戻りはしないOne Way Road~』では、白濱さんの母親について詳しく紹介されました。

母親の名前はメアリージェインさん。フィリピンで7人きょうだいの家庭に育ち、16歳のときに家族を支えるため、単身で日本へ渡ってきたとされています。

日本語も十分に話せない状態で働き、フィリピンにいる家族へ仕送りを続けていたそうです。

白濱さんは、母親が大変な状況でも笑顔を絶やさなかったことを振り返り、その精神力を尊敬していると語っています。

2020年のABEMA『GENERATIONS高校TV』でも、母親が16歳で松山に来て、働きながらフィリピンの実家のきょうだいを支えていたことを明かしました。

父親は日本人。母方にはスペインや中国のルーツも

父親は日本人で、母親はフィリピン出身です。

加えて、白濱さんは2021年放送のフジテレビ『ボクらの時代』で、母方の家系についても語っています。

本人の説明によると、母方の祖母にはスペイン系の血が入り、ひい祖父には中国系のルーツもあるとのことです。

つまり、白濱さんのルーツは日本とフィリピンという二つの国だけで単純に説明できるものではありません。母方の家系にも複数の文化的背景があります。

姉はラブリ、弟は10歳年下

家族構成については、姉と弟の存在も本人の発言から確認できます。

姉はモデル・タレントとして活動するラブリさんです。また、白濱さんには10歳年下の弟もいます。

ABEMAの番組では、姉を見て学んだことや、年齢の離れた弟がいることで物事を客観的に考えるようになったことを語っていました。

本人は自分を真ん中っ子として捉えており、年上の姉と年下の弟、それぞれとの関係が人間性を形成する一つの要素になったようです。

なお、父親の詳しい職業や私生活などについては、広く公表されているプロフィール情報では確認できません。

【教会とフィリピン文化】幼少期から異文化交流が日常だった

白濱亜嵐さんの幼少期を語るうえで、特に興味深いのが教会とフィリピン人コミュニティとの交流です。

母親がフィリピン出身だったことから、家庭の外でもフィリピン文化に触れる機会が数多くありました。

毎週末は教会へ。フィリピンにルーツを持つ子どもたちと交流

2021年11月、フジテレビ『ボクらの時代』に出演した白濱さんは、幼少期の思い出として、毎週末のように教会へ通っていたことを話しています。

教会にはさまざまな人種の子どもたちが集まり、礼拝だけでなくパーティーなども開催されていました。

言葉が十分に通じない相手とも一緒に遊んでいたそうです。

また、松山市にはフィリピン人のコミュニティがあり、同じようにフィリピンにルーツを持つ子どもたちとの交流もありました。

母親の友人にもフィリピン出身者が多く、白濱さんにとってフィリピン文化は特別な場所に行かなければ体験できないものではなかったのです。

本人も、幼い頃からそうした環境にいたことで、視野や考え方が広がったと振り返っています。

幼稚園の頃から夏休みはフィリピンへ

2025年8月公開の旅行情報メディア「るるぶ&more.」のインタビューでは、フィリピンでの夏休みについて、さらに詳しい思い出を紹介しています。

白濱さんによると、幼稚園の頃から夏休みになると約1カ月間、母親の実家があるフィリピンへ帰省していました。

そこでの生活は、観光旅行というよりも親族と過ごす日常に近いものでした。

- 親戚たちとバスケットボールをする
- 親族が集まってにぎやかに過ごす
- 馴染みのレストランで食事を楽しむ
- 大人数の親族との交流を楽しむ

母親も祖母もきょうだいが多く、親戚の人数が非常に多かったため、名前を覚えきれないほどだったといいます。

このエピソードからも、フィリピンが白濱さんにとって単なる母親の出身国ではなく、幼少期から親しんできた第二の故郷だったことが伝わります。

食文化も幼少期の大切な記憶

フィリピンの食文化も、白濱さんの思い出と深く結びついています。

2025年のインタビューでは、母親がよく作ってくれたエビ入りのシニガンについて紹介しました。

シニガンは酸味が特徴のフィリピンのスープ料理です。

また、子どもの頃にはジョリビーで誕生日会を開いた思い出もあるそうです。

母親の手料理や親戚との食事、現地での誕生日会など、食を通じた経験も彼のフィリピンへの愛着を形づくっています。

【幼少期の差別経験】母親への心ない言葉と、それを乗り越えた家族の強さ

白濱亜嵐さんの生い立ちには、温かい家族との思い出だけでなく、外国にルーツを持つ家庭ならではの苦い経験もあります。

2024年11月のABCテレビの番組では、幼少期に母親が周囲から心ない言葉を受けたエピソードを明かしました。

授業参観で母親の日本語をからかわれた

白濱さんが語ったのは、授業参観の際に同級生から母親の日本語について心ない言葉をかけられた経験です。

母親が日本人ではないことや、日本語が流暢ではないことを理由に、からかわれる場面がありました。

加えて、ホームパーティーでは、母親が作って持参した料理を友人の母親たちが食べてくれなかったこともあったといいます。

子どもにとって、母親が周囲からそのような扱いを受けることは決して小さな出来事ではありません。

白濱さん自身も、幼少期にそうした状況を経験していました。

つらい状況でも笑顔を忘れなかった母親

こうした経験のなかで、白濱さんが強く印象に残っているのが母親の姿勢です。

母親は、異国で働きながら家族を支え、周囲から心ない対応を受けても、いつも明るく振る舞っていたそうです。

白濱さんは母親について、つらい状況でも笑顔を保つ精神力や、困難に耐え抜く強さを尊敬していると語りました。

また、自分自身にも母親の明るさや、苦しいときに前を向く姿勢が受け継がれていると感じているそうです。

この話は、白濱さんが後に芸能界で経験する苦労とも重なります。

母親の生き方がアーティストとしての精神力につながった

芸能界では、努力してもすぐに結果が出るとは限りません。

白濱さんも、上京後すぐに大きな成功を手にしたわけではなく、GENERATIONSとして正式にデビューするまでにさまざまな経験を重ねています。

そうした時期を乗り越えるうえで、母親の生き方が精神的な支えになっていたことが、本人の発言からうかがえます。

特に印象的なのは、本人が現在の自分を作った要素として、母親の明るさ、好奇心、挑戦を恐れない強さを挙げていることです。

幼少期に見てきた母親の姿は、単なる家族の思い出ではなく、白濱さんの人生観を形成した重要な原点だったのでしょう。

【ダンスを始めた理由】EXILEへの憧れと二代目 J SOUL BROTHERSとの出会い

白濱亜嵐さんが芸能界を目指す大きなきっかけになったのは、中学生の頃に見たパフォーマンスでした。

幼い頃からダンスを専門的に習っていたわけではなく、実際にステージを見たことでアーティストへの憧れが強くなっていったのです。

人生で初めて見たライブが転機に

白濱さんが衝撃を受けたのは、二代目 J SOUL BROTHERSが愛媛県松山市を訪れた際の武者修行です。

2008年頃、全国各地でパフォーマンスを行っていた二代目 J SOUL BROTHERSのライブを見たことが、ダンスに興味を持つ大きなきっかけになりました。

2021年の日刊スポーツのインタビューでは、本人が松山で見た二代目 J SOUL BROTHERSのステージについて振り返っています。

特に印象に残っていたのが、SHOKICHIさんや小林直己さんのパフォーマンスでした。

客席の前方でステージを見ていた白濱さんは、パフォーマーの圧倒的な存在感に魅了され、自分も同じようなアーティストになりたいと思うようになります。

ここで一つ押さえておきたいのは、ダンスを始めた直接のきっかけとして本人が語っているのは、厳密にはEXILE本体のライブではなく、二代目 J SOUL BROTHERSの武者修行だったという点です。

EXILEへの憧れと、二代目 J SOUL BROTHERSのステージで受けた衝撃が、その後の進路を決定づけました。

15歳でEXPG STUDIO松山校へ

ライブを見てアーティストを志した白濱さんは、15歳頃からLDHが運営するダンススクール、EXPG STUDIO松山校に通い始めます。

当時の白濱さんは、ダンス歴が長いベテランではありませんでした。

2010年発行のEXPG公式情報誌「EXPG HEADLINE」では、本人がダンス歴について、本格的に始めてから約1年と説明しています。

その際、J Soul Brothersの武者修行を見たことがきっかけで、自分もやりたいと思い、EXPGに通い始めたと語っています。

この記録は、本人の当時の言葉が残る貴重な資料です。

ダンスを始めたばかりの少年が、憧れを現実の目標に変えようとしていたことが分かります。

高校1年生の夏に上京

EXPG松山校で経験を積んだ白濱さんは、芸能活動への挑戦を本格化させます。

高校1年生の夏には、アーティストになる夢を実現するために東京へ上京しました。

その後、劇団EXILEのオーディションなどを経て、芸能活動の道を歩み始めます。

愛媛で育った少年が、15歳という若さで生活環境を大きく変え、夢を追う決断をしたことは、現在の活躍につながる大きな転換点でした。

【幼少期から2026年まで】家族・キャリア・転機を一覧で整理

ここまで紹介したエピソードを、人物関係と年代別の出来事に分けて整理します。

関係・時期 出来事・確認できる事実 現在につながる意味
母親 フィリピン出身。16歳で日本へ渡り、家族を支えた 明るさや忍耐力を受け継ぐ
父親 日本人 日本とフィリピン双方のルーツ
姉 モデル・タレントのラブリ 年上の姉から学んだ経験
弟 10歳年下の弟がいる 真ん中っ子としての家族観
幼少期 毎週末の教会やフィリピン人コミュニティで交流 多文化的な環境で成長
幼稚園頃から 夏休みに約1カ月フィリピンへ帰省 母方の親族との強い絆
中学生頃 二代目 J SOUL BROTHERSの武者修行を見て感動 ダンスを始めるきっかけ
15歳頃 EXPG松山校に通い始める プロを目指す第一歩
高校1年生 夏に東京へ上京 芸能活動を本格化
2011年 GENERATIONS候補メンバーに選出 プロとしての活動が前進
2012年11月 GENERATIONSとしてメジャーデビュー アーティストとして本格始動
2014年4月 EXILEに加入 憧れのグループの一員に
2023年 フィリピン観光大使に就任 自身のルーツを生かした活動
2026年 DJ活動、音楽制作、俳優業などを展開 活動領域をさらに拡大

2026年最新プロフィール


白濱亜嵐(しらはま あらん)

2026年11月時点
- 生年月日:1993年8月4日
- 年齢:33歳
- 出身地:愛媛県(松山市)
- 身長:173cm
- 血液型:A型
- 主な活動:ダンサー・俳優・DJ
- 所属・活動:GENERATIONS、EXILE、PKCZ®


2026年現在、白濱さんはダンスだけでなく、DJや音楽制作でも存在感を高めています。

特に注目したいのが、近年のソロ活動です。

- 2023年: フィリピン観光大使に就任。
- 2025年: ソロ名義のデジタルアルバム『curious』をリリース。
- 2025年: 「DJ Mag Top 100 DJs」で127位にランクイン。日本人DJとして唯一のランクインとなった。
- 2026年6月: ワーナーミュージック・ジャパンへの移籍を発表。移籍第1弾として「Not Enough(feat. Olivia Marsh)」の配信リリースを発表。
- 2026年: ソロ写真集第2弾『Hallelujah!!』を発売。松山市で開催された第69回オールスター競輪のスペシャルアンバサダーにも就任。

2026年のプロフィールを見ると、GENERATIONSのリーダーという立場を維持しながら、個人名義での音楽活動も積極的に進めていることが分かります。

幼少期にフィリピン文化に親しみ、松山でダンスの原点を見つけた少年は、現在、日本と海外をつなぐ活動にも取り組んでいます。

【プロの結論】白濱亜嵐の幼少期を知ると現在の魅力が見えてくる

白濱亜嵐さんの幼少期を振り返ると、現在の活動や人柄につながる三つの要素が見えてきます。

一つ目は、異文化に触れて育った経験です。

松山の教会やフィリピン人コミュニティ、夏休みのフィリピン帰省を通じて、幼い頃から多様な価値観に接してきました。異なる文化を自然に受け入れる環境が、現在の国際的な活動の土台になっています。

二つ目は、母親から受け継いだ精神力です。

16歳で来日し、家族を支えるために働き続けた母親。その苦労を間近で見てきた白濱さんは、困難な状況でも笑顔を失わない姿勢を尊敬しています。

三つ目は、好奇心から行動に移す力です。

二代目 J SOUL BROTHERSのライブに感動した後、EXPG松山校に通い、15歳で上京するという決断をしました。憧れを憧れのままにせず、実際に行動したことがキャリアの出発点です。

また、家族構成については、姉のラブリさんや10歳下の弟の存在など、本人が語った情報と、父親の詳細など公表されていない情報を区別することが大切です。

白濱さんの幼少期を理解する際には、単に「フィリピンと日本のハーフ」というプロフィールだけを見るのではなく、母親の人生、親族とのつながり、松山での経験まで含めて捉えることが重要です。

【白濱亜嵐の幼少期】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:白濱亜嵐はどこで生まれ育ちましたか?

愛媛県松山市出身です。幼少期から松山で暮らし、教会やフィリピン人コミュニティとの交流を経験しました。

Q2:白濱亜嵐の母親はフィリピン人で、父親は日本人ですか?

はい。母親はフィリピン出身、父親は日本人です。母方にはスペイン系や中国系のルーツもあると本人が語っています。

Q3:白濱亜嵐がダンスを始めたきっかけは何ですか?

中学生の頃、松山市で二代目 J SOUL BROTHERSの武者修行を見たことが大きなきっかけです。そのパフォーマンスに感動し、15歳頃からEXPG松山校に通い始めました。

白濱亜嵐さんの幼少期には、愛媛県松山市での暮らし、フィリピン出身の母親、日本人の父親、そして母方の親族との深いつながりがありました。

毎週末の教会や夏休みのフィリピン帰省は、多文化に触れる貴重な経験となり、母親の苦労や明るさは、困難に負けない精神力を育む一因となりました。

そして、中学生の頃に二代目 J SOUL BROTHERSのステージを見たことが、人生を変える転機になります。15歳でEXPG松山校に通い、高校1年生の夏に上京。2012年のGENERATIONSデビュー、2014年のEXILE加入へと夢を実現していきました。

2026年現在は、グループ活動に加えてDJ、音楽制作、俳優業など多方面で活躍しています。

白濱亜嵐さんの魅力の原点は、松山で育った少年時代と、母親をはじめとする家族から受け取った価値観にあるのです。

同じカテゴリの記事

黒羽 理沙
デジタルマーケター 黒羽 理沙
プロフィールを見る →

化粧品の全成分表示と製造販売元の公式資料、公的機関の効能評価を確認して記事化。体験談は取材了承を得た範囲でのみ引用し、効果を断定しません。

おすすめの関連記事