王貞治さんのプロフィールを確認すると、生年月日は1940年5月20日と記載されています。日本野球機構(NPB)、野球殿堂博物館、日本プロ野球名球会などの公開プロフィールでも、この日付が採用されています。
ところが、王さんの誕生日には興味深い事情があります。
実は、本人が過去に日経新聞の連載「私の履歴書」などで、実際に生まれたのは1940年5月10日だったと説明したことが報じられています。戸籍上の出生日が5月20日になっているため、一般的なプロフィールでは5月20日が使用されています。
つまり、次のように整理できます。
- 1940年5月10日:本人の説明に基づく実際の出生年月日
- 1940年5月20日:戸籍上の出生日で、NPBなどの公式プロフィールに掲載される日付
- 2026年11月3日:どちらの日付を基準にしても86歳
2026年5月には、5月10日を本当の誕生日として祝う話題が報道され、5月20日には台湾の駐日代表による86歳の誕生日祝いも紹介されました。
この違いを知っておくと、インターネット上で誕生日が異なる情報を見かけても混乱しません。
【王貞治のプロフィール】身長・出身地・野球人生の基本情報
(おう・さだはる)
日本プロ野球を代表するホームラン打者・指導者
86歳
2026年11月3日時点
王貞治さんは東京都出身。早稲田実業学校で野球に打ち込み、高校時代には投手としても活躍しました。
1957年春の選抜高校野球大会では、早稲田実業の優勝に貢献しています。その後、1959年に読売ジャイアンツへ入団しました。
基本プロフィールは次のとおりです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 王貞治 |
| 読み方 | おう・さだはる |
| 生年月日(公式記録) | 1940年5月20日 |
| 実際の出生についての本人説明 | 1940年5月10日 |
| 年齢 | 86歳 |
| 出身地 | 東京都 |
| 出身校 | 早稲田実業 |
| 身長 | 177cm |
| 体重 | 79kg |
| 投打 | 左投左打 |
| 主なポジション | 一塁手 |
| 現役所属球団 | 読売ジャイアンツ |
| 現役期間 | 1959~1980年 |
| 通算本塁打 | 868本 |
| 野球殿堂入り | 1994年 |
| 主な現在の役職 | 福岡ソフトバンクホークス取締役会長 |
上記の基本データはNPBや野球殿堂博物館の選手記録に基づいています。
王貞治の経歴と関係者を年表で整理王さんの歩みを理解するには、選手時代だけでなく、指導者としての転身やホークスとの関係も押さえておく必要があります。
この年表から分かるのは、王さんのキャリアが選手としての成功だけで終わっていないことです。
巨人での活躍、監督としての経験、福岡での球団運営への貢献という複数の段階を経て、野球界に影響を与え続けています。
【王貞治の通算868本塁打】巨人時代に残した圧倒的な記録
王貞治さんの名前を聞いて、多くの野球ファンが最初に思い浮かべるのが、通算868本塁打という記録です。
1959年から1980年まで読売ジャイアンツでプレーした王さんは、22年間にわたり一線で活躍しました。
野球殿堂博物館に掲載されている通算成績は以下のとおりです。
| 記録項目 | 通算成績 |
|---|---|
| 試合数 | 2,831試合 |
| 安打数 | 2,786本 |
| 本塁打数 | 868本 |
| 打点 | 2,170打点 |
| 打率 | .301 |
| 本塁打王 | 15回 |
| 打点王 | 13回 |
| 首位打者 | 5回 |
| 最優秀選手(MVP) | 9回 |
| 三冠王 | 2回 |
1977年9月3日、王さんは通算756本目の本塁打を放ちました。
当時のハンク・アーロンが持っていた755本の通算本塁打記録を上回る歴史的な一打でした。
この偉業を受け、1977年9月5日、王さんは国民栄誉賞を受賞します。
内閣府の受賞者一覧でも、王さんは受賞者番号1番として掲載されています。
つまり、王貞治さんは国民栄誉賞の第1号受賞者です。
なお、868本は日本プロ野球の公式戦における通算本塁打記録です。756号は当時の世界記録更新として歴史的な意味を持ちますが、868本という数字については、記録の対象となるリーグや集計範囲を区別して理解する必要があります。
2年連続三冠王という偉業王さんは1973年と1974年に2年連続で三冠王を獲得しました。
三冠王とは、打率、本塁打、打点の3部門すべてでリーグトップになることです。
長打力だけでなく、安定した打撃技術と勝負強さを備えていたことが分かります。
通算868本塁打だけを見て、単なるホームラン専門の選手と評価するのは適切ではありません。首位打者5回、MVP9回という実績も、その打撃の総合力を裏付けています。
【一本足打法と長嶋茂雄】王貞治が伝説になった理由
王さんを象徴するもう一つの存在が、独特の打撃フォームである「一本足打法」です。
荒川博コーチとの出会いが転機にプロ入り直後の王さんは、現在知られているような圧倒的なホームラン打者ではありませんでした。
転機となったのは、巨人の打撃コーチを務めた荒川博さんとの出会いです。
荒川コーチの指導のもと、王さんは1962年に一本足打法を本格的に取り入れました。
投手の動きに合わせて右足を高く上げ、タイミングを取ってからスイングする独特のスタイルです。
1962年7月1日の大洋戦では、この新しい打法で本塁打を記録しました。
一本足打法は、単に目立つフォームだったから成功したわけではありません。投球とのタイミングを合わせ、軸足を安定させ、ボールを正確に捉えるための工夫が詰まっていました。
長嶋茂雄とのONコンビ王さんと並び称された巨人のスター選手。王さんが左の強打者として活躍した一方、長嶋さんは右打者としてチームを牽引しました。
王さんと長嶋さんは、それぞれの名前の頭文字から「ON」と呼ばれました。
この2人が並ぶ巨人打線は、プロ野球の黄金時代を象徴する存在でした。
巨人は川上哲治監督のもと、1965年から1973年まで9年連続で日本シリーズを制覇しています。
王さんはこのV9時代の中心選手として活躍しました。
笹川スポーツ財団のインタビューでは、王さん自身が長嶋さんについて、周囲の選手とは異なる人を引きつける魅力を持ったプレーヤーだったと振り返っています。
2025年6月3日に長嶋さんが亡くなった後も、2人が築いたONコンビの歴史的な価値は変わりません。
【王貞治の現在の活動】2026年もソフトバンクの会長として活躍
86歳を迎えた2026年、王さんは現役選手や監督としてではなく、野球界の功労者、球団の取締役会長として活動しています。
福岡ソフトバンクホークスの公式会社概要には、現在も王貞治さんが取締役会長として掲載されています。
2026年1月に王レガシープロジェクトが始動2026年1月30日、福岡ソフトバンクホークスは「FUKUOKA OH SADAHARU LEGACY PROJECT」の始動を発表しました。
このプロジェクトは、王さんが監督・会長として福岡のホークスに関わってきた歴史を振り返り、その文化や精神を次世代へ引き継ぐ取り組みです。
単に過去の成績を紹介するだけではなく、球団に関わってきた選手や関係者、地域とともに築いてきた歴史を未来へつなぐことを目的としています。
2026年2月には台湾から勲章を授与2026年2月26日、王さんは台湾の頼清徳総統から「一等景星勲章」を授与されました。
授与の理由は、野球界における功績に加え、日本と台湾の野球交流や発展に対する長年の貢献です。
台湾総統府の公報にも授与式が記録されています。
王さんは日本のプロ野球界だけでなく、台湾とのスポーツ交流にも長年携わってきました。86歳を迎える年に新たな栄誉を受けたことは、国際的な功績を示す出来事です。
2026年11月23日にはホークスOB戦を開催予定2026年11月3日現在、次の大きな関連イベントとして注目されるのが、11月23日に予定されている「FUKUOKA OH SADAHARU LEGACY PROJECT SPECIAL MATCH」です。
FUKUOKA OH SADAHARU LEGACY PROJECT SPECIAL MATCH
- 会場:みずほPayPayドーム福岡
- 開場:11時30分
- 試合開始:14時予定
- 対戦:王監督レジェンド軍 VS 王会長レジェンド軍
- 試合形式:5イニング制
王さんが歩んだ1995~2008年の監督時代と、2009~2025年の会長時代、それぞれに活躍したOBが集まる特別試合です。
王監督レジェンド軍は小久保裕紀さん、王会長レジェンド軍は和田毅さんが選手兼監督を務めます。
王さんが築いたホークスの歴史を、OBとファンが共有する機会として企画されています。
【プロの結論】86歳の王貞治から読み解く野球界への功績
王貞治さんのキャリアを振り返ると、868本塁打という数字だけでは説明できない価値が見えてきます。
特に注目したいのは、次の3点です。
1. 技術を追求し続けた選手だったこと
一本足打法は、打撃不振を乗り越えるために試行錯誤した結果として生まれました。独自のスタイルを磨き上げ、結果につなげたことが王さんの強さです。
2. 選手から指導者へと役割を変えたこと
巨人の選手として22年間プレーした後、巨人やダイエー、ソフトバンクの監督を歴任しました。2006年には日本代表監督として第1回WBCの優勝も経験しています。選手としてだけでなく、指導者としても日本野球に足跡を残しました。
3. 自分の経験を次世代へ引き継いでいること
2026年の王レガシープロジェクトは、王さん個人の記録を振り返るだけでなく、球団や地域が育ててきた野球文化を後世に残そうとする取り組みです。
これは、偉大な選手が引退後に果たす役割を考えるうえでも興味深い事例です。
王さんの功績を評価する際には、通算868本塁打、国民栄誉賞、V9への貢献、監督としての実績、野球の普及活動を合わせて見ることが大切です。
【王貞治の年齢】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:王貞治は2026年11月現在何歳ですか?
A1:86歳です。1940年生まれで、2026年に86歳となりました。
Q2:王貞治の生年月日はいつですか?
A2:公式プロフィール上は1940年5月20日です。ただし、本人の説明による実際の出生年月日は5月10日と報じられています。
Q3:王貞治の誕生日は5月10日と5月20日のどちらですか?
A3:戸籍上・公式プロフィールでは5月20日です。一方、本人が実際の出生は5月10日だったと説明したことが知られています。
Q4:王貞治の通算ホームラン数はいくつですか?
A4:日本プロ野球公式戦で通算868本です。読売ジャイアンツで1959年から1980年までプレーして達成しました。
Q5:王貞治は現在もソフトバンクの会長ですか?
A5:はい。2026年11月時点で、福岡ソフトバンクホークス株式会社の公式会社概要に取締役会長として掲載されています。
Q6:王貞治が受賞した国民栄誉賞は何番目でしたか?
A6:1977年9月5日に授与された第1号です。通算756本塁打の新記録達成が受賞理由でした。
王貞治さんは1940年生まれで、2026年11月3日現在86歳です。
公式プロフィールに掲載されている生年月日は1940年5月20日ですが、本人の説明では実際の出生は5月10日だったとされています。
読売ジャイアンツ時代には通算868本塁打を記録し、長嶋茂雄さんとのONコンビで巨人のV9を支えました。1977年には国民栄誉賞の第1号受賞者となり、1980年の引退後も監督や球団会長として野球界に貢献してきました。
2026年には台湾の一等景星勲章を受章し、福岡ソフトバンクホークスでは王レガシープロジェクトが始動しています。
86歳になった今も、王貞治さんの存在は現役時代の記録にとどまりません。 選手として築いた実績、指導者として残した成果、そして次世代へ野球文化をつなぐ活動。そのすべてが、日本プロ野球の歴史における王貞治という人物の大きさを物語っています。