(つのがえ・かずえ)
- 生年月日:1954年10月21日
- 出身地:静岡県
- 職業:女優
- 夫:柄本明
- 死去:2018年10月27日(享年64)
- 所属劇団:東京乾電池
角替和枝さんは、舞台を中心に活動を始め、映画やテレビドラマでも存在感を発揮した実力派女優です。
つかこうへい事務所を経て劇団東京乾電池に入り、個性的な演技と親しみやすい雰囲気で幅広い役柄を演じてきました。
代表的な出演作には、NHKの連続テレビ小説『ハイカラさん』『ひまわり』をはじめ、映画『居酒屋ゆうれい』『GTO』『理由』『マリと子犬の物語』などがあります。
2016年にもNHKドラマ『夏目漱石の妻』『水族館ガール』などに出演。亡くなる直前まで女優として活動していました。出演歴はテレビ情報誌の人物プロフィールでも紹介されています。
劇団東京乾電池で柄本明と出会う2人の関係を語るうえで欠かせないのが、劇団東京乾電池です。
東京乾電池は、1976年に柄本明さん、ベンガルさん、綾田俊樹さんによって結成された劇団です。角替さんは結成後に客演を依頼されたことをきっかけに柄本さんと知り合い、その後、劇団に加入しました。
劇団の公式紹介にも、角替さんが劇団のメンバーとして活動していたことが記されています。
当時の2人は、現在のような知名度を持つ俳優ではありませんでした。演劇に情熱を注ぎながら、それぞれの俳優としての道を模索していた時期です。
角替さんは単に有名俳優の妻だったわけではありません。柄本さんと同じ演劇の現場に立ち、劇団を支えた一人の俳優でもありました。
【1976年の出会いから1981年の結婚へ!2人の馴れ初め】

柄本明さんと角替和枝さんの出会いは1976年。舞台での共演がきっかけでした。
2人は仕事を通じて親しくなり、やがて交際を始めます。柄本さんは角替さんに一目ぼれしたと、後年のお別れの会で振り返っています。
柄本明の一目ぼれから始まった恋愛2019年1月31日、東京都内で開かれた角替さんのお別れの会で、柄本さんは妻との出会いについて語りました。
柄本さんが明かしたのは、自分のほうが先に強く惹かれていたということです。
「僕の一目ぼれでした」 柄本明さんが2019年のお別れの会で語った言葉。映画.comなどの報道より。
当時の2人は、仕事の話だけでなく、日常生活でも多くの時間を一緒に過ごすようになりました。
文春オンラインの夫婦の歩みに関する記事によると、交際が深まった後、角替さんのアパートに柄本さんが移り住み、同棲生活を始めたとされています。
そして、出会いから約5年後の1981年に結婚しました。
夫婦の共通点は芝居への情熱2人の結婚生活を特徴づけていたのは、演劇という共通の仕事でした。
柄本さんは劇団の座長として舞台を作り、角替さんも女優として出演する。仕事と生活の距離が近い環境で、夫婦は互いの演技や劇団について話し合う時間を大切にしていました。
単に同じ職業だったというだけではありません。互いの仕事を理解し、演劇を通じて日々の出来事を共有できる関係だったのです。
【柄本明の家族構成は5人!長女・柄本佑・柄本時生との関係】
柄本明さんと角替和枝さんの間には、3人の子どもがいます。
家族構成は、父・柄本明さん、母・角替和枝さん、長女、長男・柄本佑さん、次男・柄本時生さんの5人です。
3人の子どもはどんな人物?長男と次男は、父母と同じ俳優の道へ進みました。一方、長女については、芸能活動を積極的に公表している人物ではありません。
文春オンラインの記事では、長女は映画製作関係の仕事に進み、息子2人は俳優になったと紹介されています。
長男:
- 生年:1986年
- 職業:俳優
- 妻:安藤サクラ
- 母:角替和枝
2003年公開の映画『美しい夏キリシマ』で主演を務め、俳優として活動。2026年にもテレビ番組で母との思い出を語っています。
次男:
- 生年:1989年
- 職業:俳優
- 母:角替和枝
映画やドラマで個性的な役柄を演じる俳優。母から教わった仕事への向き合い方について、テレビ番組で語っています。
長女
- 柄本明と角替和枝の長女
- 映画製作関係の仕事に進んだと報道
- 詳細なプロフィールや活動内容は広く公表されていません。
| 人物 | 関係・プロフィール | 主な情報 |
|---|---|---|
| 柄本明 | 父 | 俳優・劇団座長 |
| 角替和枝 | 母・妻 | 女優・2018年死去 |
| 長女 | 第一子 | 映画製作関係 |
| 柄本佑 | 長男 | 1986年生まれ・俳優 |
| 柄本時生 | 次男 | 1989年生まれ・俳優 |
| 安藤サクラ | 長男の妻 | 女優 |
※家族の関係と子どもの生年は、文春オンラインなどの報道をもとに整理しています。長女の詳細な個人情報は公表されていません。
柄本佑と柄本時生は母親の角替和枝をどう語っている?角替さんは、息子たちにとって女優であると同時に、演技の世界を知り尽くした母親でした。
2022年5月30日放送のテレビ朝日系『徹子の部屋』では、次男の時生さんが母から教わった言葉を紹介しています。
それは、俳優という仕事についての教えでした。
「この仕事は待つことと、がっかりすることに慣れること」
仕事の機会を待ち、思うような結果が得られないことも受け止める。長年演劇の世界で活動してきた母親ならではの言葉です。
また、長男の佑さんも2026年2月放送のTBS系『A-Studio+』で母との思い出を語りました。
角替さんは演技の稽古に対する体力と集中力が非常に高く、佑さんは母親の演劇人としての実力を尊敬していたと振り返っています。
加えて、ラップに凝っていた時期があり、自ら「a.k.a.しゃもじ」という名前をつけていたというユニークな一面も明かしました。
こうしたエピソードからは、角替さんが家庭の中でも個性豊かで、演劇への情熱を持ち続けていたことが伝わってきます。
【角替和枝の死因は原発不明がん!2018年10月27日の別れ】
柄本明さんの人生を語るうえで避けて通れないのが、2018年に訪れた妻との別れです。
角替和枝さんは、2018年10月27日、原発不明がんのため64歳で亡くなりました。
翌28日、柄本さんが所属事務所を通じて妻の死去を発表しました。
当時の発表では、角替さんの本名である「柄本和枝」と芸名の「角替和枝」が併記され、近親者のみで葬儀を執り行うことも伝えられています。
原発不明がんとは?原発不明がんとは、がんが発見されたものの、最初に発生した臓器や部位(原発巣)を特定できないがんを指します。
角替さんの場合、柄本さんが2019年のお別れの会で病気の経過を説明しています。
報道によると、角替さんは2017年8月に受けた人間ドックで異常が見つかり、詳しく調べた結果、がんが判明。その時点ですでにステージ4だったと柄本さんは明かしました。
発見後、約1年2か月にわたり家族で病気と向き合いましたが、2018年10月27日に帰らぬ人となりました。
柄本明がお別れの会で語った妻への思い2019年1月31日、東京・下北沢で角替さんのお別れの会が開かれました。
40年以上にわたって夫婦として生活を共にしてきた柄本さんは、妻への思いを涙ながらに語りました。
特に印象的だったのが、毎日のように通っていた喫茶店についての話です。
結婚前から2人で喫茶店に通うことが習慣になっており、長いときには2時間ほど芝居や劇団について話し込んでいたといいます。
犬を飼うようになってからは、毎朝の喫茶店通いが生活の一部になっていました。
ところが、角替さんが亡くなった後、柄本さんはその店に行けなくなってしまいます。
「和枝ちゃんと行った喫茶店に行けないんですよね」
スポニチや日刊スポーツなどの報道によれば、柄本さんは妻を失った後の心境についても、まだ妻がどこかにいるような感覚があると語っています。
この喫茶店のエピソードは、2人の結婚生活を象徴する出来事です。
豪華な記念日や華やかな夫婦共演ではなく、毎朝のコーヒーと会話。そうした何気ない時間を大切にしてきたことが、柄本さんの言葉から伝わってきます。
【柄本明に再婚説?妻の死後に報じられた同居女性の真相】
角替和枝さんの死去後、インターネット上では柄本明さんの再婚や新しいパートナーについての話題が見られるようになりました。
この噂の背景には、2019年6月の週刊女性PRIMEの記事があります。
同記事では、柄本さんの自宅に女性が出入りしている様子が報じられ、一部で新しい交際相手ではないかという見方が紹介されました。
しかし、記事を詳しく読むと、女性の正体は別の人物でした。
同居女性の正体は柄本明の実妹2019年6月の週刊女性PRIMEの取材記事によれば、柄本さんの自宅で生活を共にしていた女性は、実妹の佳子さんでした。
妻を亡くした柄本さんを心配し、身の回りのことを手伝うために同居していたと、劇団関係者の証言として紹介されています。
柄本さん本人も、記者から女性が妹なのかと尋ねられた際に認めています。
つまり、当時の同居報道を、そのまま恋愛関係や再婚の証拠として扱うことはできません。
再婚説と確認できる事実の比較| 話題 | 確認できる内容 | 判断 |
|---|---|---|
| 角替和枝との結婚 | 1981年に結婚 | 公表された事実 |
| 2018年の死別 | 10月27日に死去 | 公表された事実 |
| 2019年の同居女性 | 実妹の佳子さんと報道 | 恋愛関係ではない |
| 再婚の発表 | 再婚を公表した事実は確認できない | 未確認の噂 |
| 新しい妻の存在 | 信頼できる公表情報なし | 事実として扱えない |
2026年11月現在、再婚したという公式発表や、再婚を裏付ける確かな報道は確認できません。
角替さんとの死別後に家族や親族が柄本さんを支えていたことと、新たな結婚生活を始めたことは、まったく別の話です。
再婚説については、2019年の同居報道を誤解して広まった可能性を考える必要があります。
【柄本明の現在は2026年も現役!78歳の俳優・劇団座長として活動】
2026年11月3日現在、柄本明さんは78歳です。
1948年11月3日生まれで、長年にわたって映画、テレビドラマ、舞台の第一線で活動してきました。
所属事務所ノックアウトの公式プロフィールには、2026年の出演作品も複数掲載されています。
2026年も映画・ドラマ・舞台に出演2026年の公式プロフィールには、テレビドラマ『お別れホスピタル2』『コンビニ兄弟 テンダネス門司港こがね村店』などの出演情報が掲載されています。
映画でも複数の作品に参加しており、俳優としての活動は続いています。
また、劇団東京乾電池は2026年に結成50周年を迎えます。
公式サイトでは、柄本さんが演出を担当する50周年記念公演として『十二人の怒れる男』などの公演情報が掲載されています。
角替和枝の存在は家族の中に生き続けている角替さんが亡くなってからも、息子たちは母親の思い出をテレビ番組などで語っています。
2026年2月には柄本佑さんが母親の演劇への情熱やユニークな性格を紹介しました。
同年6月には、父・明さんについても語り、家族と劇団の関係や、芝居に厳しかった父親とのエピソードを明かしています。
こうした発言から見えてくるのは、角替さんがいなくなった後も、家族の中で芝居という共通の価値観が受け継がれていることです。
【プロの結論】柄本明と角替和枝の夫婦関係から見えるもの2人の結婚生活を振り返る際、注目したいのは、夫婦が単なる芸能人同士ではなく、同じ演劇の現場を生きてきた仲間だったという点です。
1976年の出会いから1981年の結婚、そして2018年の死別まで、2人の人生には常に芝居がありました。
柄本さんは劇団の座長として活動し、角替さんも女優として舞台や映像作品に出演。互いの仕事を理解しながら家庭を築いてきました。
特に喫茶店での習慣は象徴的です。
毎朝のように顔を合わせ、芝居の話をする。夫婦にとっては特別なイベントではなく、当たり前の日常だったのでしょう。
その日常を失ったとき、柄本さんが喫茶店に行けなくなったというエピソードには、長年連れ添った夫婦ならではの喪失感が表れています。
【柄本明の妻・角替和枝に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:柄本明の妻は誰ですか?
A1:妻は女優の角替和枝さんです。1976年に舞台共演を通じて出会い、1981年に結婚しました。2018年10月27日に原発不明がんのため64歳で亡くなっています。
Q2:角替和枝の死因は何ですか?
A2:原発不明がんです。2017年8月の人間ドックをきっかけにがんが見つかり、当時すでにステージ4だったと柄本明さんが2019年のお別れの会で説明しています。
Q3:柄本明と角替和枝の子どもは何人ですか?
A3:3人です。長女、長男の柄本佑さん、次男の柄本時生さんがいます。息子2人は俳優として活動しています。
Q4:柄本明と角替和枝の馴れ初めは?
A4:1976年の舞台共演が出会いのきっかけです。柄本さんは後年、自分が角替さんに一目ぼれしたと明かしています。
Q5:柄本明は角替和枝の死後に再婚しましたか?
A5:2026年11月現在、再婚を公表した事実は確認できません。2019年に報じられた同居女性は実妹だったと週刊女性PRIMEが伝えています。
Q6:柄本明は2026年現在も俳優を続けていますか?
A6:はい。所属事務所の公式プロフィールには2026年の映画・ドラマ・舞台の出演情報が掲載されています。劇団東京乾電池の座長としても活動しています。
柄本明さんの妻は、2018年に亡くなった女優の角替和枝さんです。
1976年に舞台を通じて出会った2人は、1981年に結婚。長女、柄本佑さん、柄本時生さんという3人の子どもに恵まれ、演劇を中心とした家庭を築いてきました。
2018年10月27日、角替さんは原発不明がんのため64歳で死去しました。2019年のお別れの会で柄本さんが語った一目ぼれの思い出や、毎朝通った喫茶店のエピソードは、2人が共有してきた時間の深さを物語っています。
また、再婚説については、2019年に報じられた同居女性が実妹だったことが分かっており、再婚を裏付ける公表情報はありません。
2026年現在、柄本さんは78歳を迎え、俳優として、そして劇団東京乾電池の座長として活動を続けています。
角替和枝さんは、柄本明さんの妻であると同時に、同じ舞台に立ち、同じ演劇の世界を生きた大切なパートナーでした。 2人の歩みは、家族の思い出や息子たちの俳優活動、そして劇団の歴史の中にも受け継がれています。